2025年6月7日 練習風景


ドラパート H.W さんのレポート

 

 6月7日(土)の空は雲に蔽われていましたが、暑くも寒くもなく皆さん元気そうな足取りで集まって来られ、参加人数は34名でした。

 

〈 13:05~14:25 前半は S.Im さん指揮で練習開始 〉

 S.Im さんが、曲を始める前にマイクを手にして、「最後に疲れたと言う言葉を聞きますが、これからは、快い疲れで帰れるようにを、心がけていきたい。」と言われました。

 

①最初は「月に寄せる歌」です。4月19日の1回目の配布があり、今日は2回目の配布です。16、24、71小節を優しくするため、マンドリンからギターに変更、12、20、28小節はp、mp、mfとだんだん強く、他のところも強弱に気をつけて!

②次の「みじかくも美しく燃え」の3連符はトレモロで弾くことになりました。

③「ニュー·シネマ·パラダイス  メドレー」の34小節〜は小さく、43小節〜は少し大きく、意識して弾くようにとの、指示がありました。

④「ふるさと紀行のテーマ」は、曲全体にスラーとスラーの間は切るように、弾くことの注意がありました。

 

〈 14:25~14:55 お知らせ、体操、休憩 〉

T.Tさんに、バネ指にならない指圧法を教えてもらって、毎年のお土産のびわもいただきました。「甘かったね」

実行委員のR.Hさんから、今年のコンサートの予算とプログラムのコンセプトは簡素化であり、6月中に、コンサートの参加者を募り、予算化していく、との説明がありました。

・今日の体操(S.Oさん指導): 肩甲骨をくっつけて、姿勢を良くして、色々教えてもらって気持ちが良かった。継続は力なり!  S.Oさんありがとう。

 

〈 14:55~16:25 後半は S.Ik さん指揮で練習開始 〉

①「荒城の月幻想曲」、「武蔵野の秋」を通しました。

②「踊り明かそう」は、Aの前に2拍空打ち、Fの前に4拍空打ちして演奏することになりました。リズムに乗って弾けるかなあ!(私の独り言)

③最後は、今日譜面をもらった「演歌の花道」でした。馴れ親しんだ曲ばかりです。出来上がりが楽しみです。

 

 ドラのお隣に、いつもフルートのN.Mさんが座ってくれます。いつも間近でフルートが聴けて、私は幸せです。

 

 

[HP担当のK.Nからのお願い]

個人的な話で申し訳ありませんが、来週よりドイツに旅行に出かけます。

つきましては、6月21日、7月5日の例会はお休みさせていただきます。

それに伴い、練習風景のホームページへの掲載が、3週間ほど遅れることになります。お許しください。ごめんなさい。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

              楽楽の”おあしす”タイム

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 今年の3月に、指揮者の S.Imさんが、イタリアのシチリアに旅行されました。

色々と感慨深い想い出を作られてきたようです。S.Imさんから「シチリア旅行記」を送付いただきましたので、”おあしす タイム”に掲載させていただきます。

 

 『 シチリア旅行記 』   

 今年の3月、例会を1回休んで10日間シチリアに行ってきました。コロナ以降5~6年ぶりの海外旅行。さぼったお詫びの旅行記です。

 イタリア半島は長靴の形をしていますが、その靴の先端でチョコッと蹴ったところにある島がシチリアで、大きさは四国の約1.4倍。人口約480万人のイタリアで最大の州です。

 シチリアは地中海のほぼ中央に位置し、海上交通の要であり、土地が肥沃で海産物も豊富なことから、古くから周辺各国による侵略が繰り返された歴史があります。

 紀元前8世紀頃、当時の近代国家ギリシャでは人口が増え過ぎ、国内では賄いきれなくなって移民政策をとります。その移民先の一つがシチリアで、彼らは本国の文化をそのまま島に持ち込みました。その結果ギリシャ時代の遺跡が各地で見られます。アグリジェントにはアテネのパルテノン神殿を彷彿させる神殿や神殿跡が残され、タオルミーナやシラク―サにはギリシャ劇場跡や闘技場跡などが見られます。

               アグリジェント・コンコルディア神殿                 

                  ジュノーネ・ラチニア神殿

                  タオルミーナ・ギリシャ劇場

                 シラク―サ・ギリシャ劇場

 

 その後、ポエニ戦争でローマの支配下に入り、9世紀には北アフリカからアラブ人が島を掌握してイスラム文化が華開きます。11世紀になって北フランスのノルマン人がやってきて、イスラムとも共存したシチリア王国を築きました。更にフランスのアンジュ―家を始めアラゴン、スペインなどの王国に次々支配され、ようやく1861年イタリア王国の一部になりました。

 このような複雑な歴史を繰り返してきたシチリアには様々な建築様式の街が見られます。その一つがビザンチン・アラブ・ヨーロッパの3つの文化が共存したアラブ・ノルマン様式という建築群です。州都パレルモの大聖堂と王宮(パラティーナ礼拝堂)、近郊の街チェファルー、モンレアーレの大聖堂などが世界遺産に登録されています。

                 パレルモ・王宮 パラティーナ礼拝堂

                 パレルモ・大聖堂

                 モンレアーレ・大聖堂

                 チェファルー・大聖堂

 島の北東部に標高3326mの活火山エトナ山があります。この火山付近を震源とする大きな地震が1693年にあり多くの街が崩壊しました。島の南東部にあるヴァル・ディ・ノートと呼ばれる地域にある街々も完全に崩壊しましたが、建築家ロザリオ・ガリアルディらにより数十年をかけて後期バロック様式で統一された美しい街に生まれ変わりました。

今回はその中でノート・ラグーザ・モディカ・カルタジローネの4つの街に行きました。

 ノートは古い街を放棄し10㎞離れた丘の上に新しく建設され、ラグーザは元の場所で、モディカは低いエリアと高いエリアに分かれて再建されました。モディカはチョコレートの街として有名で皆様にお土産でほんの少しだけ味わっていただきました。カルタジローネは街の中心にある142段の大階段が陶器で飾られていることで知られています。


                 ノート・大聖堂前広場

                 ラグーザ・サン・ジョルジョ大聖堂

                   カルタジローネ・大階段

                  モディカの街・遠望

 カルタジローネから少し北に行ったところに「カサーレの古代ローマの別荘」があります。中庭を中心に大小約40の部屋が連なる広大な遺跡で、1950年代に本格的な発掘が始まり、長い間土砂に埋もれていた床のモザイクが美しい状態で見つかりました。「貴婦人の間」と言われていた部屋には体育競技をする10人のビキニ姿の少女が描かれています。

                 モザイクが描かれた入場券

                 ビキニ姿の少女

 余談ですが、今回の旅行ではエトナ山頂の噴火口まで雪上車で行くことになっていましたが、当日は強風と濃霧で行けず、中腹までロープウェイで行ったところで引き返しました。わざわざ用意した防寒着やホカロンは無駄になりました。(この文を書いていた6月2日にも大きな噴火があったようです)

                エトナ山 遠望

                 エトナ山中腹で立ち往生 後ろが雪上車

楽楽とシチリアとの関係と言えば、次回のコンサート曲「ニューシネマパラダイス・メドレー」。この映画が主に撮影されたのは島の中央にあるパラッツオ・アドリアーノという小さな田舎町でした。今回の旅行では行けませんでしたが、海岸で仮設の野外映画の上映シーンが撮影されたチェファルーに行きました。

                 撮影に使われたチェファルーの海岸

                   映画のポスター

 又、私たちがよく演奏するマスカーニ作曲オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲はシチリアを舞台に、愛情関係のもつれが主人公に決闘死をもたらす悲劇の一日を描いています。但しマスカーニはイタリア人ですがシチリア出身ではありません。パレルモにあるマッシモ劇場(立派な劇場でした)では時折上演されるそうです。

レスピーギ作曲「リュートの為の古風な舞曲とアリア」の第3楽章「Siciliana」はシチリアが起源の作曲者不明の舞曲を基にしているといわれています。

 

 ガイドブックでシチリアには「プーピ」という人形劇があることを知り、帰国前日の夜、劇場(アルジェント・シアター)を見つけて行きました。人形は木製で高さが1メートル位あり3人で操ります。演目は決闘劇で決闘中人形が水平に真二つに切られたり、頭から縦にバッサリやられたりのなかなかの迫力で、子供連れの家族などで賑わっていました。

 

 シチリアと言えば「マフィア」を思い浮かびますね。「マフィア」はシチリアを起源とする組織犯罪集団で、19世紀頃から恐喝や暴力により勢力を拡大し、一部は19世紀末から20世紀初頭にアメリカに移民し、ニューヨークやシカゴなど大都市で活躍?しました。

1990年代、一人の判事が勇敢にもマフィアに対して厳しく取り締まりをしました。が車で移動中マフィアに暗殺されます。それを契機に市民も立ち上がり凶悪な犯罪は減少していると言われています。現在の彼らの資金源は主に建築の耐震偽装だそうです。

 旅行中パレルモの街で1件だけ「NO MAFIA memorial」と描かれた垂れ幕が掲げてある建物がありました。

 久しぶりに旅行をして感じたのは日本の国力の衰えと物価の高騰です。日本では1ユーロ163円位でしたが、現地で両替すると190円位。参考に最後の夜のレストランでの夕食、魚介類の前菜(一人では食べきれない量、でも美味しかった)とウニのパスタ(これ最高!!)で48ユーロ、当然白ワインは別。

 去年の10月に予定していた旅行を足の捻挫で3月に延期。この季節は旅行シーズンには一寸早すぎる(寒くて天候がよくない)と思っていましたが、行ってみると日本の3月とほぼ同じ気候で過ごし易く晴天続きで、観光客も多くもなく少なくもなくのグッドシーズンでした。シチリアの夏は連日40度を超える猛暑日が続き、雨が降らず水不足で噂では島民は観光客には来て欲しくないそうです。

 今回はツアーで行きましたが、10名の参加者のなかでやっぱり私が最高齢。迷惑をかけないよう気を使いましたが、今や海外旅行もスマホの時代 全く付いていけませんでした。

行きに18時間、帰りに16時間の苦痛は年を経るほど耐えられません。「もうやめや!」と言いながら、心の中では「次はどこへ行こうかな」とつぶやいている今日この頃です。

 

更新日:2025/06/11