マンドリンパート H.Nさんのレポート
本日も晴天。日本中が「危険な暑さ」や「熱中症警戒アラート」に染まっており、
芦屋も例外ではなくひたすら暑い。
今日の練習は、芦屋市民センター「音楽室」で行われました。
音楽室の鍵が開いたのは定刻の1時ジャスト。
いつもより10分ほど遅れての練習スタート。
参加人数は34名で、若干少ない感じでした。
〈 13:15~14:20 S.Ikさん指揮で練習開始 〉
前半はS.Ikさん指揮で3曲。
① 1曲目は武井守成さんの「微風(そよかぜ)」。
私達にも「無理なく弾ける」曲ですが、なんともいい感じの曲ですね。
2月から弾いてきてほぼ半年、ようやく曲になってきた、という感じがします。
② 続いて、今日が初めての宮田俊一郎さんの「武蔵野の秋」。
この曲は存在すら知らなかったのですが、苦労して楽譜を入手したようです。
我々の年代には何の違和感もありませんが、若い人達が聴いたら「古色蒼然」という
印象を持つかもしれません。若いメンバーに合わせることもないでしょう。
③ 3曲目はおなじみ「東京ブギウギ」。
この曲も4月から始めてほぼ4か月。ようやく「Swing」がスイングらしくなって
きたかな?というのは身内の欲目か。でもこんな曲はちゃんと弾けるより、
「のりのり」で楽しめたらいいんです、と勝手に言っておこう。
〈 14:20~14:50 お知らせ、体操、休憩 〉
お知らせの内容ですが、ほとんど聞き取れませんでした。
情報を発表される皆様、済みませんがもう少し「ハッキリ」としゃべっていただけませんか。マイクの音量の問題ではありません。
以前から感じていたことですが、しゃべる人は自分が「分かっていること」をしゃべります。ですが聞く方にとっては「初めて聞くこと」なんです。
なんとなく「音」は聞こえますが、「聞き取る」にはほど遠い状況です。
関係の皆様、今後ご配慮いただければ嬉しいです。
(とりあえず聞き取り難い中で多分、こんな内容だったのだろうという情報を書いておきます。正確には別途、事務局からのメール等でご確認ください)
① 部内演奏会について
9月第2例会、又は10月第1例会で開催予定。
コンマスのお二人(M.Fさん、M.Nさん)がプロデュースしてくれますので、出演希望者は申し込んでください。これまでのような「全員参加」の舞台は計画されません。
② 訪問演奏について
12月21日に伊丹市の小学校で、来年1月16日に加古川市の公民館で、久しぶりの訪問演奏が決定。出演者は各パートのチーフが取りまとめるので、皆さん、ご協力を。
指揮者 S.Imさんから、11月の第1例会には、出演者を決めてほしいということです。
③ 脳梗塞で倒れられた K.Tさんの最近のご様子が K.Nさんから報告されました。
「リハビリに励んでいるが、楽器の演奏は無理なので退会したい。」という意向が強く、退会の申し出を受け入れざるを得ないであろう、ということでした。
本当に残念ですが・・・
④ 長年の教育への貢献で、国の表彰を受けられた R.Hさんから、東京での受章式の
様子などのご報告がありました。
(本練習風景に引き続いて、R.Hさんの東京での受章式の投稿が掲載されています。)
〈 14:50~15:10 Y.Oさん指揮で練習開始 〉
後半の最初に、「お試し指揮」の Y.Oさんの指揮で、「二つのギター」を演奏。
馴染みがあるとはいえ、速度の変化も多い曲ですが、とても「お試し」とは思えない見事な指揮ぶりで、楽しく弾けました。
「途中のマンドリン・ソロもいい感じで、楽楽・神戸も捨てたもんではないな~」と
心強く感じました。
〈 15:10~16:25 S.Imさん指揮で練習開始 〉
後半はS.Imさん指揮で3曲。
① 1曲目はAmadeiの「古風なセレナータ」。
いかにもAmadeiという感じの曲ですね。無茶苦茶難しい、という訳ではないけれど、
ちゃんと弾くのはかなり困難(少なくともM1では)
音量がどうのという以前に、まずはもう少し弾けるようにならないと・・・(反省)
② 2曲目は「ニューシネマパラダイス・愛のテーマ」。
これについては前回の練習風景で A.Nさんが映画愛を込めてたくさん書いておられるので、そちらに譲ります。「映画にはまったく疎い私でも、こんな映画なら見てみたい」と思わせる映画であり、音楽です。
③ 最後は武藤理恵さんの「宵待草ラプソディ」
4/4拍子と6/8拍子が何度も入れ替わり、その4/4拍子も「3+3+2」のルンバのリズムという曲者で、我々にはなかなかの難曲。
竹久夢二の絵のように「しっとり」とはいきませんね。
今日はスタートの遅れもあり、全体として時間的に「追われっぱなし」の印象がありました。
前半、後半とも3曲をこなしたのですが、どの曲も内容に踏み込めるところまでいかなかったのではないでしょうか。
3曲を予定していても、状況に合わせて2曲だけにとどめるなど、臨機応変の対応があっても良かったのでは、と思いました。
以上、文句ばかり並べて済みません。それもこれも記録的な暑さのせいとご容赦ください。
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楽楽の”おあしす”タイム
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*** 春の叙勲伝達式に出席して ***
マンドリンパート 原田 亮
この度、春の叙勲において瑞宝双光章を受章いたしました。「楽楽神戸」の中では一番目立たなく、何の役にも立っていないわたしが受賞することとなったのです。そもそもわたしが瑞宝双光章を受章することとなったのは、教員を40年近くつづけたからでしょう。「勲章の授与基準」によれば、公共的な職務の複雑度、困難度、責任の程度などを評価し、職務を果たし成績をあげた人に対して、授与するとなっています。また、受章者には保護司や小・中学校長などが多いとありました。
春の叙勲の最初の内定通知が届いたのは3月14日でした。正直、後ひと月で79歳を迎えようとしていた時でしたので、びっくりしました。わたしの県教育委員会時代の友人たちは76~77歳で受賞していたからです。4月初旬には文部科学省からの通知が届きました。新聞発表される1週間ほど前には生存確認の電話もありました。そして4月29日に新聞発表がされました。
それとともに、いろんな方々からお祝いの電話やメールが届きました。皆さん、ちゃんと見ておられるのですね。祝電もたくさん届きました。県知事や神戸市長、芦屋市長、関係教育委員会教育長、市会議員、県会議員、兵庫県選出の国会議員等々、よくもまあ、名もないわたしのためにわざわざと恐れ入るばかりでした。また業者から毎日のようにパンフレットが届きました。表彰状や勲章を入れるための立派な額縁や菊の御紋の入ったお祝いお返しグッズなどです。
そして、5月14日には東京において「令和6年春の叙勲伝達式」がありました。ここ数年、コロナの影響で本格的な伝達式が出来なかったとのことですが、今年から夫婦同伴ですべての儀式に参加できるようになりました。わたしたちは前日から伝達式の会場となるホテルニューオオタニに宿泊しました。当日は妻の着物着付けなどがあり、受付後1時間ぐらい待たされて午後1時45分から勲章伝達式がありました。会場には全国からの瑞宝双光章受章者とその付き添い者500名程が着席しました。文部科学大臣の祝辞等があり、その後皇居に行くまでの待ち時間に各自写真撮影をしていました。
皇居には勲章を付けていくこととなっていました。大型バス16台を連ね、皇居についてからも長々と待たされ、ようやく「天皇拝謁」がありました。天皇陛下が祝辞を披露された後、壇上から降りてこられ、前列80名程の方々のうち10数名の方にお言葉をかけておられました。
それが終わってからはバスのグループごとに写真撮影がありました。皇居内では、個人で写真撮影することが禁じられていましたので、記念となるのはこの写真のみです。後日文部科学省から送付されてきましたが、皇居の様子がわかるようにするためか一人一人は米粒のような写真でした。孫たちは「これがおじいちゃんとおばあちゃんだ」と分かったようです。
こうして一日のセレモニーが終わり、新幹線に飛び乗って帰宅できたのは午後11時前でした。モーニングも着物も窮屈で、とにかくくたくたになった伝達式でした。
ところで、「叙勲って何の意味があるの」と尋ねられたたことがあります。確かに、叙勲伝達式に出席するだけでもかなりの出費となります。叙勲など受けなくとも、立派な教育者は多くおられます。「結局、名誉が欲しいのですか」と言われた方もおります。いろいろな見方はあると思いますが、わたし自身今回のことを通じて感じたのは、ともに喜んでくださる方がいるということです。ご近所の方からもお祝いのお言葉をいただきました。教え子からも電話がありました。校長時代を共に歩んだ友人たちによるお祝いの会もありました。楽楽の皆様からもメールをいただいたり、「エッ, 知らなかった。お目出とうございます」と声をかけてくださったりしていただきました。今回も貴重な「おあしすタイム」にご紹介いただきました。そして、誰よりも喜んでくれたのは、家族や親族です。妻や子供たち、そしてわたしの兄弟たちです。本当はわたしが感謝の言葉を述べるべき多くの方々と、喜びを共にできる幸せこそ、今回の受章から学んだ一番の意味だったとわたしは思うのです。本当にありがとうございました。
更新日:2024/07/26
Category: 練習風景