2024年4月20日 練習風景


マンドリン・パート K.I さんのレポート

 

 車窓から見えるJR沿線の須磨浦公園は、すっかり綠の葉っぱに変わっていました。桜の季節ももう終わりです。10日前に出かけた姫路城の桜を思い出しながら、今日は久しぶりの芦屋市民センター多目的室へ急ぎました。

 

〈13:15~ S.Ikさん指揮で練習開始〉

①「カヴァレリア・ルスティカーナ」(P.Mascagni作曲、M.Maciocchi編曲)

 2ndマンドリンの私は、1STマンドリンやドラの旋律を聴きながらうっとりするほどです。ほんとに美しい曲です。

②「微風(そよかぜ)」(武井守茂作曲)

③ 「東京ブギウギ<楽楽バージョン>」(服部良一作曲、遠藤幸夫・池上三郎編)

 前回、ブギウギのリズムを取りだした楽譜で何度も練習しましたが、今日は、後の予定の関係でいきなり曲に入りました。「ブギウギ」は朝ドラで女優の趣里さんが何度も歌う場面があり又、私は小さい頃、ラジオから流れてくる笠置シズ子のこの歌をよく歌っていたのを覚えています。スイングのリズムは歌うより弾く方が難しい。62小節から70小節までを何度も繰り返し練習しました。私はまだ完全には弾けませんでした。

 

〈14:20~ H.Kさん指揮〉

 「Loreley-Paraphrase No.29」

指揮にトライするという企画で手を挙げられたH.Kさん。今までにも他で指揮をされた機会があったとか・・・事務局としても長らくお世話してくださった頼もしい方です。

この曲は、2007年11月7日(水)に豊岡中学校文化祭に招待された時にも演奏した思い出の曲です。3拍子、4拍子の振り方を最初に示してくださり、その通りのわかりやすい指揮でした。これからのご活躍を期待しています。

 

〈14:40~15:10(お知らせ、体操、休憩)〉

・今日は出席者がちょっと少なめ?で、31名でした。

・2024年会計の修正案が承認されました。(コンサート清算返却金を会計に入れた)

・前回お知らせしたとおり、大西功造マンドリンリサイタル 兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホールであります。2024.5.22 (水) 19:00開演 チケットはH.Nさんまで。

 

〈15:10~ S.Imさん指揮〉

①「青い地球は誰のもの?」

今年3月急逝された楽楽メンバー清水潤さんを偲んでこの曲を練習し、追悼しました。2011年5月15日(日)の第4回定期演奏会で、指揮者のS.Imさんは コンサートマスターの清水さんから「こんないい曲がありますよ」と提案され取り上げたとのこと。マンドリンはパートが変わった人、又、コンサート後に入会した人もいて、何度も何度も練習して清水さんに届けようと頑張りました。

②「アベマリア」(グノー)(J.S.Bach/C.F.Gounod曲、中川信良編)

・1stマンドリンの23、24、26,27小節の4拍目の16分音符をはっきりと出すように、

・スラーとスラーの間は意識して弾くように、だらだらと伸ばさない、との注意が指揮者からありました。

 予定した後2つの曲は、時間切れとなりできませんでした。その分、「青い地球は誰のもの?」を何度も弾いて清水さんを偲びました。一回りもお若い清水さんなのに、ほんとに残念でなりません。

 

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              楽楽の”おあしす”タイム

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【1】『清水潤さんへの追悼文章第2弾

*清水 潤さんを偲んで*      投稿者 18回生ギターパート 泉 吉英さん

 楽楽・神戸の仲間である25回生の清水潤さんが、2024年3月30日に亡くなられました。2011年に大病をされ、ここ10年余り休会を余儀なくされていまましたので清水さんをご存知ない方もおられますので、少し紹介させて頂きます。

 清水さんは、2006年の神戸大学マンドリンクラブ第50回記念コンサートをきっかけに、2007年1月に楽楽・神戸に入会されました。当時は、お勤めもされていましたが、お住まいが、小野市で、例会には、片道2時間ぐらいかけて、熱心に参加されました。

楽楽・神戸では、最も若い世代でしたが、2009年には、コンサートマスターに選出されました。2009年の六甲台講堂での第4回ホームカミングデーでは、後輩のプロマンドリ二スト大西功造さんと「荒城の月を主題とせる二つのマンドリンの為の変奏曲」を演奏されました。2011年5月の第4回コンサートでは、コンサートマスターとして、その役を立派に果たされました。

これから、楽楽・神戸を盛り上げて頂けると皆さん期待していたのですが、その年9月大腸の手術後敗血症になり、多臓器不全で一時は、危篤になられたりもしました。何とか一命をとりとめられましたが、車いす生活になられました。

 ご本人にとしては、マンドリンを愛され、これからというときだっただけに本当に残念で悔しい思いをされたこととお察しします。その後は、休会会員になられましたが、最近までフィナーレ入力隊の一員として楽楽神戸にご協力して頂き、感謝に堪えないところです。

2014年8月の三木山森林公園での部内発表会には、奥様と来ていただいて、皆さんとの再会を喜んでいただけました。

2015年8月には、神戸大学マンドリン創部100周年記念行事があり、コンサート、感謝の会、記念誌発行等行いましたが、清水さんは、記念誌編集担当としてご活躍され、編集後記にもコメントを書かれています。

2018年の秋には、入力隊の皆さんが、フィナーレ入力のお礼もかねて清水さんご夫妻とお会いしました。

その後コロナ禍で少し間が空きますが、一昨年の2022年5月末に長嶋ご夫妻と私の3人で、皆さんにご協力して頂いて作成したビデオレターを届けてさせて頂きました。その時は、お元気そうで、数時間歓談しました。その時のお礼文を6月4日の練習風景のオアシスタイムに投稿して頂きました。

 

   〈2022年5月ビデオレター贈呈時の一コマ〉

 

昨年の第10回コンサートでは、是非会場に来て頂けるようにお誘いしたのですが、体調がすぐれないとの事で、お会いできませんでした。

楽楽神戸のホームページにも、何回か投稿して頂きましたが、最近では、今年の1月20日のオアシスタイムに、ご自身の好きな歌謡曲40数曲も挙げて投稿されています。

ご病気になられてから、なかなかお会いする機会がありませんでしたが、ずっと楽楽・神戸とは、繋がっていました。楽楽・神戸の皆様もそれぞれ清水さんとの様々な想い出をお持ちのことと思います。

楽楽・神戸の中では、若い世代でしたので、お亡くなりになられたことは、本当に悲しいことです。

清水潤さん、安らかにお休みください。

 

【2】『清水潤さんへの追悼文章第3弾

*清水さん、マンドリン弾いてますか* 投稿者 20回生セロパート 岡部幸夫さん

 清水さん、桜満開の空を見上げると、貴君のトレモロが響いて来るようです。あなたとは年次が少し離れていますので、KUMCでの出会いはありませんでした。

 <楽楽>に入会され、2007・9・11年の3回のコンサート、2007年秋の城崎中学校文化祭の舞台でご一緒しました。また、第2008・2009年と2回の神戸大学ホームカミングディに出演、中でも2009年第4回では六甲台講堂で大西功造さんと「荒城の月を主題とせる二つのマンドリンの為の変奏曲」のSolo演奏をされました。

 弦友会においては、25回生の幹事として同期のみなさんへの連絡やお世話をしてくださいました。2011年2月「第1回神戸大学マンドリンクラブのつどい」では“細川ガラシャ”他を演奏。写真は23~27回生参加者の記念撮影です。

 

〈清水さんは前列左から3人目〉

 

 こうして思い起こすと、長くはない期間ではありましたが、あなたと一緒にたくさん演奏を楽しませていただいたのですね。清水さんとの共同作業では、<楽楽>Finale譜面作成をお願いした当初、ご自宅に伺ってPC入力の練習をしたこと、そして何よりも2015年の「KUMC創部100周年」に向けて、前年から一年を掛けて「100周年記念誌」の編纂に携わっていただいたことです。記念誌完成まで、編集メンバー間で何度データのやり取り、メールでの打合せを重ねたことでしょう。特に貴君の労には感謝しかありません。

(記念誌 編集後記より):今回、記念誌編集で実感したことは、「クラブの歴史と伝統の重み」と「音楽に情熱を注ぐ仲間達の絆」です。青春の一ページが、それぞれの心に一生ものの財産として培われている姿を窺い知ることができました。(略)この記念誌が弦友会会員、現役学生、関係の皆様にとって、青春の宝物として折りに触れ手に取ってページを開いていただける一冊となりますよう願ってやみません。(25回生 清水 潤)

 

【3】『清水潤さんへの追悼文章第4弾

*清水さんのこと*       投稿者 25回生マンドリンパート 寺田涼子さん

 清水さんは現役時代1stトップと渉外マネージャーでした。クラブの運営も演奏面もどちらも支えてくださっていたんだと改めて思います。

 卒業後、私は、清水さんがコンマスだったとばかり、思い込んでいましたので何度か「コンマスではなかった。コンマスはギタートップ。」と訂正されました。

 卒業後も集まる機会を作ってくださったり、上や下の学年とのパイプ役をしてくださったり25回生のまとめ役でした。

 私はそれまでその会に一度も参加できませんでしたので、2005年の第50回定期演奏会のOBステージの最初の練習で青木文化センターで会うのが、卒業後初めてでした。30年ぶりで、練習が終わるまで清水さんとわかりませんでした。

 あの時再会して <楽楽・神戸>に先に入ってくださっていたおかげで、私は今、マンドリン合奏を楽しむことができています。

体調を崩されてからも楽譜作成やコンサートのCDを聞いての感想のメールをくださったりとマンドリンや<楽楽・神戸>のことを大切に思ってくださっていると感じていました。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 

【4】『清水潤さんへの追悼文章第5弾

*【楽譜担当】清水さんのこと* 投稿者 14回生マンドリンパート 長嶋厚子さん

 清水さんに楽譜担当をお願いしたのは、2017年になってからのことです。

2011年に大病を患われ、車椅子生活を余儀なくされました。

リハビリに励まれる中、2015年KUMC創部100年記念行事で記念誌編集を担当、立派に役割を果たされました。

 その結果、Y.Oさんの提案で、自宅でできるパソコン作業で楽楽の楽譜担当をお願いしようということになり申し出たところ、快く引き受けてくれました。

最初はベースパートを、最終的には1stマンドリンも担当していただきました。音楽的素養が深く、知識も豊かで、いつも助けられました。2018年11月には楽譜担当の仲間と小野市を訪ね、お礼と親睦を図りました。

 

〈楽譜担当メンバーと小野・浄土寺にて〉

 

 その後、最後のパート譜が今年1月の以下添付「ふるさと紀行のテーマ」です。

 約6年にわたり、熱心にお手伝いいただきました。感謝に堪えません。

天国では好きな音楽に囲まれ、ゆっくり休んで下さいね。

♪♩♫♬♯♭♮~清水さん、たくさんの楽譜作成ありがとう~♪♩♫♬♯♭♮

 

更新日:2024/04/26