2024年10月5日 練習風景


ギター・パート S.S さんのレポート

 

 何と云うことでしょう。

 今日は、7月21日に亡くなられたギターパートの永松道晴さんを追悼し、「アベマリア」と「栄冠は君に輝く」を演奏するはずだったのですが、芦屋市民センターの部屋がとれておりませんでした。

 奥様のM.Nさんにも来ていただいたし、同期のM.Mさんも久しぶりに元気な顔を見せて下さったのに、代わりの部屋は2015号室で、30名用の美術室でした。

(今回参加されたメンバーは34名でした。)

 

 まず、Y.Iさんの先導で、全員で永松道晴さんに対しての黙とうが捧げられました。

 

 追悼演奏も適わず代わりに、同じ時期に学生時代を過ごされましたR.Iさんから、思い出を語っていただきました。

 

当時合宿では、ちゃんと弾けたパートから食事をして良いというルールがあり、

遅れたR.Iさん等が食堂に出向くと、先に食べている筈の皆が、「先輩を差し置いては食べられない」と待っていてくれたそうです。

「永松さんは、一部だけでなく全体の問題として考えており、組織というものをよく判った人だ」とR.Iさんは思われたそうです。

 

 また、永松さんには神大マンドリンクラブ百周年のパーティ会場に、あの施設の使用を確保していただいたり、経験豊かで筆も立つので、百周年記念冊子や“おあしすタイム”にも、たくさん投稿していただけました。

 

 亡くなられたのは突然でしたが、奥様と娘さんはコロナ禍でしたが、(病院にもよりますが)登録しておけば、自由に毎日会うことができたのは良かったそうです。

 ある日、足元が不安定で転倒して、九針も縫われたそうです。薬が合わなかったのか、心臓が弱くなってきていたようです。

 

 退会されたご夫婦は、「まあ、後2,3年はいけるよネ。」と話されて、楽楽に挨拶に来られる予定だったそうです。

 

 奥様が焼菓子を皆さんに配ってくださったので、S.MさんとE.Iさんのフランス土産と共に頂き、部内演奏会のことなどの連絡事項がありました。

 その後、M.Tさん他の3名の方から、永松さんの思い出が語られ、3時に本日の例会は解散になりました。

 訪問演奏のための代替練習日は、別途設定されることとなりました。

 

 楽楽をお辞めになると仰っておられた永松さんの奥様(M.Nさん)、また楽楽に戻ってきてください。お待ちしています。

永松さん、安らかにお眠り下さい。そして見守っていて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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              楽楽の”おあしす”タイム

 

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永松さんの追悼記事続編

[3] 永松さんを偲んで    投稿者 マンドリンパート A.Nさん

 

~永松先輩の思い出~

 私にとって永松さんの一番の思い出は、2017年、私たちがチェコ旅行をしたときのことです。

2010年にご夫妻でチェコ、ハンガリー、オーストリアを旅行されたのですが、

そのうちのプラハで滞在された時の記録や資料、情報を詳しく

教えてくださいました。

チェコの歴史がよく分かる本の紹介、そして良かったレストランやカフェ、素敵な散策路など。

そのうちのいくつかは私たちもたどることかができました。

 

 そして写真も参考になればとデータで頂きましたが、お元気で素敵なご夫妻の様子、とても仲睦まじく・・・・。

(肖像権の侵害だと叱られそうですが、良い写真なのでお許しください。)

 

プラハ カレル橋再訪 幸福を願って 道晴

 

カレル橋畔 スメタナ美術館 スメタナ像と 道晴

 

プラハ城 出口から市街を背景に 基子と道晴

 

身体も心も大きく頼もしかった永松さん、いつも教えられたり助けていただくことばかりでした。

感謝に堪えません。

今頃は天国で宮本さんと再会されているでしょうか。

「おまえもう来たんか、早すぎるやないか!」と口とは裏腹に破格の笑顔で喜んでいる宮本さん。

現役時代から絶妙な凸凹コンビで活躍されたお二人、

そちらでもマンドリンクラブを作って私たちを待っていてくださいね。

 

ご冥福を心からお祈りいたします。

 

更新日:2024/10/21