ギターパート Y.Yさんのレポート
滅多に見ない色彩的な素晴らしい天気のもと、
11月18日の第10回コンサートに向けての例会が
13時より御影公会堂ホールで開かれました。
午前中の選曲委員会とそれに続く選曲委員と
実行委員の合同委員会で決定したアンコール曲
【愛の花】の楽譜が例会で配付され、練習対象
に加わりました。
また本番に演奏する曲の順番が以下のように紹介されました。
S.Imさん指揮の曲順
1.瑠璃色の地球
2.The Sound of Music(抄)
3.いのちの歌
4. パリは燃えているか
5.ファンタジア九州(抄)
S.Ikさん指揮の曲順
1.レナータ
2.神様のカルテ
3.行進曲「栄光は君に輝く」
4.昭和歌謡スーパーエキスプレス(池上三郎編)
5.組曲「山の印象」
例会では本番曲に加えてアンコール曲「愛の花」の合奏練習も行われました。
11月18日に向けて気持ちのこもった合奏練習でした。
なお「神様のカルテ」のみ、一部スコアの作り直しのため本日は合奏しないと紹介がありました。これを踏まえ本番曲の練習が本日からスタートしました。
以上、練習風景でした。
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楽楽の”おあしす”タイム
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17回生 マンドリン・パートR.Hさんからの投稿です
ー編集者よりー
R.Hさんから投稿をいただきましたが、内容が暗く掲載に相応しくないならボツにしてくださいとの申し出がありました。何らかの障害があっても音楽を続けたい、音楽を楽しみたい、お互い助け合ってそれができるのが「楽楽・神戸」だと信じ、掲載することにしました。
(文中のイラストは内容と無関係で、編集者が挿入しています)
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音 が 消 え た !
・ それは突然のことでした
ある日の例会のことです。調弦も済ませ、指揮者に合わせて1曲目が終了しました。そして2曲目、美しいメロディーを楽しむ曲です。数小節を進行した時です。突然、何の音も聞こえなくなったのです。自分の楽器の音も他の楽器の演奏も全く聞こえませんでした。
それでも、この曲なら指揮者の指揮に合わせていたらなんとかなるだろうと思ったのですが、合奏というのは他の音を聞きながら演奏するものです。
指揮だけではどうにもならず、自分が置かれている立ち位置を思いつつも、退席することにしました。帰る道すがら、ほとんど音のない世界をキョロキョロしながら
安全にだけは気を付け、電車に乗り継ぎようやく帰宅しました。
その間原因を考えました。実は前日に新しい補聴器を購入しました。それまでの電池式から充電式に変更しました。その日の朝、念のためにと思い充電したのですが、時間が短かったようです。電気がなくなってしまったのです。電池ならいつも替えを持っているのですが、充電用の器具は持ってきませんでした。家に帰り、じっくり充電すると補聴器の音の聞こえは戻りました。
・ 難聴のためにできなくなったことが一杯あります
実は、わたしは子どものころから難聴に悩みました。そのために、小学校5年と6年の時に両耳の鼓膜を付け替える手術を受けました。今から70年ほど前のことです。
それによってかなり聞こえは改善されそれまでの教室の一番前の席から真ん中辺でも授業を受けられるようになりました。20代、30代はそれで生活にも支障がほとんどなくなりました。
そうした中にあっても、やはり難聴のためにあきらめざるを得ないことも出てきました。例えば、音楽会などの演奏会に行くことが少なくなりました。CDやレコードを聞いたりする楽しみが失せました。車でラジオを聞くこともなくなりました。
しかし、40代になり電話での応対が主となる仕事となり、不自由を感じるようになりました。そこで、わたしの両耳の手術をしてくださった先生のお勧めもあり、補聴器を使用するようになりました。今のように眼鏡と同様に補聴器を使用する人が少なかった時代です。わたしにとっては生活するうえで必需品となったのです。特に70代に女子大で学生の指導をするようになり、学生の声を聞き取ることに非常な困難を覚え、ドイツ製の高級補聴器を使用するようになりました。
それでも、聞こえの衰えは隠すことが出来ず、テレビは字幕なしでは理解が出来なくなりました。何よりも残念だったことは、ここ数年の内に社会的な関わりで辞退せざるを得ないことが多くなったことです。
例えば、自治会の役員を3年しましたが、地域の住民からのお電話を聞き取れなかったり、聞き違えてしまったりということがあり、役員を辞任しました。また、教会の役員を30年ほどしてきましたが、役員会で女性役員のお声が小さく、内容を把握できないままに過ごすようなことが出てきました。これ以上役員していても迷惑をかけるだけだと思い、辞めさせていただきました。
昨年は一年間神戸シルバーカレッジの卒業生で作るボランティア団体の理事をさせていただきましたが、普通3年継続することが常のところを1年限りで退任いたしました。本来は受けるべきではなかったのですが、学校経験者がどうしても必要だとのことで、しぶしぶ受けてしまいました。しかし、朝礼の際に理事長のお話が聞き取れなかったり、打合せ会の代表のお話が理解できていなかったりということが続き、やむなく退任いたしました。
・どのようにして難聴と付き合ってくかです
こうして難聴者としての生活を余儀なくされたわたしですが、聞き取りにくい中で身に付けたことは、聞き取れた言葉を繋いで話の大体を把握することです。要点やその人の一番言いたいことを推論する習性が身に付きました。
それでも、限界はあります。こうした苦労の中で、やはり楽しみは音楽でした。音楽から離れることはできませんでした。
毎週日曜日の教会における礼拝では、ついつい大きな声で賛美歌を歌ってしまい、妻や孫から叱られています。
「楽楽・神戸」も手離すことのできない楽しみの一つです。
時々「誰か音が違っているよ」と声を発せられても、もしか
したら自分かもしれないと思いつつ、どこがどう違うのかは
わかりません。到底聞き分ける力などありません。
こんな状態で、いつまで合奏に参加できるのかわかりません。確実に進行している難聴です。今回の体験から「音が消えた時」の恐怖は必ずやって来るでしょう。
今さら手話を覚えるわけにもいきませんし、他の音が聞こえないままでの合奏は空しいものです。会話の成立しない人間関係も寂しいものです。
その内、筆談に頼らなければならなくなる日が来るかもしれません。
・出来ることを精一杯頑張っていきます
それでも、可能な限り「楽楽・神戸」の例会に参加したいです。ほとんどで皆様のお役に立てるようなことは出来ませんが、かれこれ20年以上合奏を楽しむ機会をいただいたことに唯々感謝しています。今後、きっと高齢化してきた「楽楽・神戸」の皆様の中に、以前は聞こえていた音が聞き取りにくくなってきたと思われる方も出てくると思います。そういう方には補聴器の利用をお勧めしたいと思いますし、その扱い方についてアドバイスできることがあるかもしれません。
人間の五感も年とともに衰えてくるのは必定です。音が消えた世界に自分一人が追いやられたときの恐怖や心細さは体験しなければわからないものです。人間の感覚で最後まで機能するのが聴覚ということを聞いたことがあります。例え補聴器を使った音でも、大切にして「楽楽・神戸」の中で音楽を楽しみたいのです。
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(追記.)友人から次のようなアドバイスをいただきました。
わたしの苦悩に心を傾けて聞いてくれた友人からのアドバイスです。参考までに記しておきます。
今の段階でもいいから止めたいですね。軽侮しないで聞いて欲しいです。
『老衰減少とその予防法』で次のように書かれています。
耳が遠くなるのは聴覚神経の衰微で、内耳に器質的な変化が起こるわけではない。朝夕両耳に人差し指を突っ込んで、両手を振動して鼓膜にブクブク振動を与える運動を500回宛すること。これを私は、次のように解釈して実行しております。
爪先が痛いので、爪は切ります。これで両手人さし指を耳に突っ込んで、耳が傷つかないようにそっと押して緩める。これを100回。外耳の外側、耳たぶの下あたりに窪みがあります。ここを、両手親指先でそっと押し緩めます。同じく100回左右の耳にこれをします。痛いようですと、タオルか柔らかい布をあてて実行ください。
圧すところは、手とか、押すと血が一時止められて白くなる。離すと新しい血が通って赤みがでる。その新鮮な血がどっと入って来ることをイメージして、そっと耳を押し、離した瞬間新しい血がどっと入って来るイメージで押し離すを繰り返します。
耳には繊毛があって、これが音の振動を感知して神経に伝えている。繊毛は新鮮な血液によって維持されている。ここの血流が不足すると、繊毛は壊死して二度と復活しません。齢とともに高温が聞こえなくなりますが、高音域の繊毛が最初にへたるからです。
このように私は解釈して、耳を押しています。
若者ほどではないですが、今のところ、普通に聞こえています。意を決して、毎朝両耳を、耳たぶの後ろの窪み(耳下腺)と耳に指をの方法で各100回宛してやることにして実行中です。
更新日:2023/08/14
Category: 練習風景