マンドリン・パート K,Tさんのレポート
今日は立春にふさわしいおだやかで暖かい一日でした。
会場はみかげ公会堂。いつもの時間に石屋川駅に着くと降りたのは私ひとり。
一瞬会場を間違ったのかと思いましたが、会場に着くとほとんどの方が来られていて
びっくり。だんだん皆さんの集合が早くなっているような気がしますが、
便数の少ないローカル線に乗って来る私はこれ以上早くは無理かなあ。
出席者は42名でした。
・前半練習(S.Imさん指揮)
この曲は2度弾き流して今回で終了となりました。1stマンドリンの難易度も低く、美しいクラシック曲は弾き手として大歓迎です。
今回から練習が始まる曲ですが、この曲は第1回演奏会で演奏した懐かしい曲です。
初めての演奏会で「客の入りを心配しながら幕を あけたら満席で安堵した」と指揮者が話す印象深い演奏会での一曲。ドラパートの音を聴くと当時のことが蘇ると指揮者の弁。同感でした。きちんと練習して藤掛ワールドに浸りたいと思います。
今日もこの曲で前半練習を終えました。三連音がせつなく美しく、泣ける曲です。
・お知らせと休憩
座りっぱなしなので立ち上がるだけでも気持ちが良いです。
・上半期の会費徴収の件(H.Kさん)
・新会員(M.Sさん 32回生)紹介。
「初めての参加で、♯がいっぱいで緊張しましたが楽しかった」
と言ってくださいました。平均年齢を少しでも下げていただいて感謝です。
・運営委員の打ち合わせ
・誕生スピーチ
ドラパートお二人のスピーチでした。
S.Oさん(6月生):ご家族の慶事について、その心模様をありのままに語って
くださいました。これからは自身の楽しみを追求していく方向で。
K.Tさん (9月生) :近郊の登山、青春18切符での近畿一円の旅を楽しんでおら
れること等、話して下さいました。
・後半練習(S.Ikさん指揮)
第1楽章と第4楽章を練習しました。第4楽章に鈴が入り、下山の高揚感が出たように思います。
大体曲の感じはつかめているが、強弱(pp~fff)に気を付けて弾くよう指示がありました。この曲は17回生にとっては55年?前に3回生として定演で弾いた曲で、しかも指揮者も同じで、私はパート(2nd)も同じで・・・再びの青春です。
今回初めての曲。辻井氏の演奏は速めだそうですが今日はゆっくりから始め、3回目には速度を上げて弾きました。めりはりをつけて弾かないと単調になりそうです。
安曇野の雄大な自然を思いながら弾きます。
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昨年一年近く休会して、やっと指先が少し硬くなって弾き易くなってきた所です。
また元に戻ってしまう前に練習したいところですが・・・・。
ここに来れば皆に会え、誰かと話せ、何より合奏が楽しめるという、
とんでもなく恵まれた場所だなあ とあらためて思いました。
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楽楽の ”おあしす” タイム
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9回生ギターパート 暫く休会されているS、Oさんからの投稿です。
(今回は名前を実名で記しています)
「楽楽・神戸」にはすっかりご無沙汰していますが、私も84歳、目はぼやけ、腰は痛み、足はよろけるといった、おなじみの状況です。
それでも、何とか元気を出して、あちこちに首を突っ込んでやっております。
どれも私がキーボード又はピアノを担当していますが、一つは10人ほどのフルートのアンサンブルでの伴奏です。近々、いつも練習をしている公民館のサークル発表会で「エデンの東」や、さだまさしの「北の国から」など、4曲を演奏する予定です。
もう一つは、キーボード、ギター、ウッドベース、ウクレレといった組み合わせで
主に老人サークルの歌の会などで、懐かしの歌謡曲などの伴奏をあい務めています。
更に一つ、フルート、ギターまたはヴァイオリンとピアノで、月1回集まって、主にバロックや、バッハ、モーツアルトの曲などの合奏を楽しんでいます。
コロナもまだ油断できませんが、ぼつぼつと注文が入り始め、12月は合わせて3回演奏会があります。
以下は、私がマンドリンクラブに入った頃の思い出を書き連ねたいと思います。
どこかで(以前の「オアシス」?)にも書いたかと思いますが「同じ話はうんざり」という方や「年寄りの昔話は結構」という方は、飛ばしてもらって構いません。
私がマンドリンクラブに入ったのは大学2年の後半か、3年の初めで、それまで途絶えていたマンドリンクラブの復活という触れ込みで、募集があったのを見てです。
ギターも同時に始めました。メンバーは10人ほど、今でも健在な今崎、会沢、宮本、白土、城崎在住の田中それに奥田(以上ギター)笹井、室谷、広瀬(以上マンドリン)、田中(マンドラ)といった顔ぶれで、(指揮者の東君や永松君は後から入部してきたように記憶していますが、間違っているかも)、ギターの経験のある今崎君を除き、楽器初心者ばかりで、それも空手、剣道、テニス、器械体操などをやっていたというスポーツ経験者が多く、中々異色の顔ぶれでした。
最初のころの練習の様子や、第1回の夏の合宿(六甲の裏の「多門寺」という寺)がどうであったかは残念ながら覚えていませんが、皆の経歴から察するに、体育会系の雰囲気が強く、スパルタ式の練習で、私などは小さくなっていたのではないかと思います。
ここから一気に信州の合宿の思い出に飛びますが、その頃私はギターパートのリーダーという役目を仰せつかっており、その関係で下級生のレッスンをすることになりました。毎朝1時間ばかり、交代にカルカッシ教則本の曲の演奏を聴いてコメントするわけですが、ギターを習い始めてから2年ばかりの素人が指導をするというのですから、我ながら厚かましいと思いつつやっていました。
下級生全員に当たりましたが、その中で印象に残っているのは、まず竹内(兄)です。あの鋭いまなざしで真剣に迫ってくるのですから、こちらは少し怖くなりながらアドヴァイスなどやっておりました。
もう一人は亡くなった大西君です。彼も真剣に練習した結果を披露し、こちらもそれに応えるべく真面目に見てやっていましたが、何よりも彼の純粋さが印象で、後日彼が自死したと聞き、やはりあの純粋さがもたらしたものかという気がしました。
宮本君や白土君も指導したはずですが、記憶に残っていません。恐らく「なあなあ」でやっていたので、印象が薄いのでしょう。
もう一つの思い出は、松陰女学院のコーラス部との合同演奏です。どういうコンサートで合同演奏をすることになったかは覚えていませんが、とにかくその為にロシア民謡メドレーをマンドリンアンサンブルとコーラスでやることになり、その編曲を私が仰せつかりました。編曲という類のものはそれが初めてでしたが、まずまずのものが出来上がりました。練習も私に指揮をたのまれました。ところが、その練習(最初だったかもしれません)に、私は大遅刻をしてしまいました。
その頃、私は現在の高砂市にある自宅から神戸まで汽車通学をしており、練習当日は午後3時ぐらいの集合時間だったので、それに合わせて家を出たのですが、汽車に乗り遅れてしまいました。その頃汽車は1時間に1本しかなく、次の汽車に乗って当然1時間遅刻し、松陰女学院のコーラス部数十名、付き添いの先生、それに何よりも我々マンドリンクラブの面々(抜粋メンバーだったとは思いますが)を皆待たせ、やっと到着してから練習を始めるという有様で、誠に恥ずかしい思いをしたわけです。
当時マネージャーで、先方との連絡役だった今崎君からも苦言を呈され、誠にその通りと謝る他ありませんでした。
最後に演奏会の思い出ですが、いつも今崎君の思い出に「慎重派」などと表現されていますが、何かというと反対を唱える筆頭が私ではなかったかと思います。
私としては、部を作って2年ほどしか経っておらず、こんな低いレベルで、演奏会などとんでもないという気持であったと思います。
それでも、「やろうではないか」という皆の意気込みで、演奏会も実現しました。
考えてみれば、マンドリンパートの面々もすごい腕前に成長し、他人さまに聞かせられるレベルになっていたという気がします。又、指揮の東君が素晴らしかったのが、一つの要因と思います。
最初の演奏会場は、三宮にある農林会館というところで「古戦場の秋」「山嶽詩」など、今でも時々演奏される曲目のプログラムでした。
確か入場料500円だったと記憶していますが、その頃の500円はかなりの高額であり、いいのかなと思いつつ、ゼミナールの連中10名ほどにチケットを売りさばいたりしていました。
それから数十年、皆とは長い付き合いになります。この他にも色々と思い出はありますが、きりがありませんので、終わりにします。
「楽楽・神戸」には私は後から参加しましたが、その中から又新しい付き合いができ素晴らしい思い出が新しく生まれました。
もう先は長くはないかもしれませんが、皆さんのご活躍を見守りつつ、
私なりにがんばってゆきたいと思っております。
更新日:2023/02/09
Category: 練習風景