マンドリン・パート E.Yさんのレポート
秋らしい晴天の中、近隣の小学校で運動会が開かれているのを横目に我々は御影公会堂へ。最近の運動会では、2学年毎の参観や、参観は保護者のみとか様変わりしているようです。
先ずは代表のY.Iさんの合図で、9月24日に急逝されたF.Mさんを悼んで黙祷しました。そして、S.Imさんの指揮で「古戦場の秋」を演奏しました。演奏しながらF.Mさんの明るい笑顔が思い起こされました。ご冥福をお祈りいたします。
<S.Imさん指揮>
・ファンタジア九州
強弱の注意がありました。
106小節から、ギターに続いてドラ、2nd、1stと速いメロディーが続きます。
何回か繰り返しました。前々回はすこぶる快調だったのに…と
指揮者から4分音符の長さをしっかりとるように。
・サウンドオブミュージック
フルートで可愛く伴奏を入れてくださるので楽しく弾けました。
・パリは燃えているか
何とも言えない気分。現在の戦闘のことが思い起こされます。
平和の大切さを伝えたいです。
<お知らせ>
・休会されている方のおしらせ。
・Web担当から
オアシスタイムにF.Mさんを偲ぶ記事をのせます。投稿をお願いします。
・K.Nさん今日から復帰。まだ食事制限はあるようですが、元気で復帰されたのは嬉し
いことです。
・Y.Sさん久し振りに参加されました。車で渋滞の中2時間かけて来られたとのこと。
ベースの音がしっかり効いています。広くてもしっかり響いていますよ!
頼もしいです。
・実行委員会より
チラシ必要枚数をアンケート用紙に記入してください。
・久し振りにS.Oさんの体操。
めまいがするので首回りは避けて肩、足腰を中心に。スッキリしました。
・編集者より
コンサートで賛助出演をお願いしているフルートの松田さんが所属されている
Mandolin Orchestra グループ アルゴ 第32回 マンドリンコンサート
10月28日(土)14:00から うはらホール で開催されます。
<S.Ikさん指揮>
・レナータ
レナータとは、宗教戦争のさなか自分の信仰を守った女性の半生を描いている。
無理やり改宗を迫られ告訴の場面から曲は始まる。
その王が亡くなりフランスの私領地の城でゆっくりした時を過ごす。
これが69小節からのようだ。
しかし、宗教戦争は激しさを増し、虐殺が始まる。
それが148小節からの教会の鐘の音(ドラ)からだ。
S.Ikさんのお話から少し検索してみました。まるでほぼ同じ時代を生きた日本の
細川ガラシャのようと書いてありました。
153小節からのダブルノートがなかなか揃いません。との指摘。
245小節3拍目は指揮を見て入るよう注意がありました。
・山の印象
2楽章136小節から徐々に音量を上げ、140小節でfになるように。
・神様のカルテ
今日から加わったベースやフルートそしてパーカッションが入ってますますいい
感じになってきました。
・栄冠は君に輝く
53小節からはゆっくりと。
この曲もフルート、パーカッションに助けられて気持ちよく演奏できました。
今日は、練習の合間にパート毎や、全員の集合写真を撮りました。
プログラムにのせるそうです。「もうすぐだなあ。」と実感しました。
~~ここからは私事ですみません~~
この秋はピアノリサイタル、ベルとチャイムのコンサート、混成合唱とオーケストラによる「モーツァルトレクイエム」鑑賞と大忙しでした。
その間にマンドリンアンサンブルのボランティア演奏とカリンバのミニコンサートもありました。
だけカリンバ演奏させていただきました。場所は、
三木山森林公園の音楽ホールです。
この場所は三木のマンドリンアンサンブルでもよく
使うのですが、何と言ってもずいぶん昔、楽楽神戸
でも部内演奏会をしましたね。遠い所へ皆さんよく
お越しくださいました。
亡くなられたF.Mさん、今は休会のK.Fさんを思い出
しました。
舞台背面が全面ガラス張りで外の木々の小枝の
揺らぎが見えます。紅葉はまだ早かったようです。
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楽楽の”おあしす”タイム
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商社に勤めて海外勤務の長かった11回生M.Nさんの”海外よもやま話 その2
カシミア 中国
私が商社マンとして最後に中国を訪れたのは、1989年5月、東勝市のカシミア糸の紡績工場にニット(横編み)機械を導入し、100%カシミアセーターに仕上げて日本に輸出する技術指導が目的でした。
カシミア紡績の大手・東洋紡糸(現・シマ精機)とニット編立て仕上げ技術のエキスパート・ユニチカ(元・ニチボー 日本レイヨン)のスタッフに同行して、北京から夜行列車で12時間、内蒙古自治区の包頭(バオトウ)駅からランドクルーザーで黄河を渡って、強風で黄砂が道をふさぐように吹き抜けて行くなか、カシミア山羊の小さな群れが散見されるオルドス砂漠を一路西へ4時間の町にその工場がありました。
包頭駅から黄河を渡って一路オルドス高原の東勝市へ カシミア山羊の群
これは、1978年末に鄧小平政権が打ち出した改革開放政策によって海外からの技術導入が盛んになりだした時代で、このカシミアセータープロジェクトも中国が「熱烈歓迎光臨」する流れに乗ったモノでした。
日本では当時カシミア100%のセーターはその独特の柔らかい暖かさが好まれて、阪急や三越の高級品売り場で、スコットランドからの輸入ブランドなら安くて¥85,000、レナウンなどの国産品なら¥55,000で販売されていて、一般のスーパーや通販では高価で販売対象とならなかった時代でした。販売価格を下げることができればカシミアセーターはハヤルこと間違いないと見た我々は、カシミア山羊の内蒙古自治区を原料立地として、圧倒的に安価な労働コストでセーターを一貫生産して輸入するプロジェクトを組み立てました。
しかし、高度な生産技術が必要な半導体では当然ですが、ファッション衣料のような消費物資の生産にも高い壁があること、「言うは易し、行うは難し」の典型のようなプロジェクトであることを思い知らされました。
一例を挙げると、文化大革命を経てファッションとは無用な衣服に慣れて来た現地の工員たちにとって、セーターは着てみて首が通ればヨシ、Vネックの角度が60度でなく、ゆがんでいても、左右の袖の長さが少々違っていても「大丈夫ですよ、かまいません」(メイヨウ クワンシー=没有関係)だったのです。日本の売り場に並べることができるように彼らを教育訓練することに大変苦労しました。
30年も着ている私のメンズカシミアセーター Vネックの形は崩れていない
それから30年、現在このような文化的な違いは徐々に解消されて来ていますが、
業種にかかわらず、中国に進出した日本企業がこのギャップを埋めるのにどれほどの苦労と犠牲を払ったか、想像に余りあることです。
もうひとつ例を挙げると、中国の経営者は新しい生産プラントを導入するについて現状のインフラに適合するかどうかに関係なく、その時の最先端技術を備えた機械を購入したがります。空調設備がなく外気が自由に出入りする工場だったので、先ずは手作業のセーター横編み機で生産を開始して生産ノウハウを蓄積し、業容の拡大に沿って自動編み機を導入することを勧めましたが、コンピューター制御の最新の編み機を取り入れました。
案の定、黄砂の飛来や温湿度管理ができずに、編み機はダウン、使い物にならず、工場の操業に大きな支障を来しました。これは中国に進出した日本のメーカーが共通して直面している問題のひとつです。我々も1986年にこのプロジェクトを立ちあげてから日本の消費者に受け入れられるカシミアセーターの生産にこぎつけるのに、各2週間、計8回の出張が必要でした。
仕上げ品質管理 現地打ち合わせ 品質管理の重要性を学ぶ工員たちの目は輝いていた
ここからは日本での販売政策の組立てに話題を変えます。日本市場は大量生産・消費を推進する高度成長の頂点にあり、新しい業態としてファッションアイテムに特化して注目されていた通販会社、高松のセシールに100%カシミアセーターを国産品の半値以下、\19,800で売り込みました。これは大当たりで、様々な商品のサプライチェーンを低コストの中国生産に切り替える動きが促進される契機となりました。
当初我々は日本のカシミア市場をツブしたと非難もされましたが、今はユニクロなどがカシミアセーターを\10,000以下で販売する時代となっています。しかしながらこれに両立して高級ブランドの輸入・国産カシミアセーターの市場も健在です。
高価でも品質の確かなブランド品と普及品の市場の住み分けが進んでいて、その選択はあなた次第です。ひと言付け加えれば、Mサイズのレディースカシミアセーターは目付け220グラムが標準ですが、安価な普及品は150グラムのものもあって、安さにはそれなりの理由(ワケ)もありますが、地球温暖化のなかにあって保温効果よりも色柄スタイルを気にする消費者にはそれでいいのでしょう。
ジンギスカン生誕地 霊廟
さて、内蒙古の工場での仕事を終えて、我々は5月24日に首都・北京に帰着しました。一ヶ月前に出発した時と町の様子がサマ変わりです。白い羽根のポプラの花粉が晴れた青空に飛び交うなか、トラックに満載の若者たちが民主化を求めて北京の町を埋め尽くしていました。彼らの顔は明るく希望に満ちていました。
この時、東京訪問の途次のソ連のゴルバチョフ共産党書記長が北京を訪れていて、この学生の主張に影響を与えたのでしょう。ゴルバチョフは言論・報道の自由を認めるグラスノスチ(開放)政策、経済の意思決定を分散して効率化を図るペレストロイカ(再構築)政策推進していて、マルクス・レーニンの共産党一党独裁から社会民主主義に移行することを目指しており、これが6ヵ月後1989年11月のベルリンの壁の崩壊を経て、1991年12月に書記長辞任でソ連共産党の一党独裁の終止符につながり、現在のロシアになりました。
我々はこれを契機に中国も体制が代わって自由と民主主義の国になれば、相互の経済的メリットは計り知れないと感じて、5月28日に帰国しました。しかし、鄧小平政権はこの学生によるデモを容認せず、一週間後の6月4日に天安門に集まっていた学生たちを戦車で蹂躙して弾圧、それから34年後、今日の習近平体制に引き継がれています。仕事とは言え、このような悲劇的歴史の証人にはなりたくないものです。
政治的問題はさておき、経済的にこれ迄とは次元の異なった変化が起こりつつあります。SDGs(持続可能な開発目標Sustainable Development Goals)に象徴されるように、地球温暖化を阻止すべくCO2排出を制限するために、モノの生産と消費の仕組みをどのように改善したらいいかとの問題提起です。
その合言葉は持続可能性サステナビリティ(sustainability)と循環経済(circular economy)です。これには量子物理学や仮想通貨のブロックチェーン等の知識が必要で、我々の手には負えず、孫の世代に任せる以外仕方がありません。
我々は、アナログの世界で、暖かい人間関係を大切にする仲間と共に、
ゆったりとした余生を送りたいですね。
更新日:2023/10/10
Category: 練習風景