ギターパート Y.Tさんのレポート
5月21日(土) 曇り、気温は朝18℃から徐々に25℃程度まで上昇、暑い一日
練習場所: 芦屋市民センター多目的ホール
本日は、楽楽本年度の運営方針の説明がありました。
13:10 指揮S・IKさん
・丘を越えて(楽楽バージョン)強弱とスピードアップが課題との指摘あり
・古戦場の秋(小池正夫) 強弱と速度
14:30 休憩、
・運営委員会報告:代表(Y・Iさん)
楽楽の皆様へのアンケート調査結果を運営委員会で取り纏めた結果
来年の秋ごろ、演奏会を第10回コンサートとして行うことに決定
詳細は今後詰める。
これまでのような合宿は止め、部内演奏会や親睦を中心とした催しを
行うとの説明及び報告がありました。
・誕生日:今月の該当者:18回生のM・Fさん、22回生のK.・Tさん
それぞれの自己紹介を兼ねた特徴あるエピソードを発表されました
15:10 通しリハーサル:指揮S・IMさん
・シンコペイテッド・クロック
・愛の讃歌
・いつか王子様が
指揮者より、以上の3曲は例会練習を今回で終了するが、下記は継続するとの
説明がありました。
・パリは燃えているか
16:25 ~終了~
練習風景
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楽楽の ”おあしす” タイム
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投稿がありませんでしたので、今回は自主企画です。
マンドリン アンサンブル <楽楽・神戸> 誕生前の秘?話
ーその1ー
(資料担当H.Nさんから戴いた資料を中心にまとめましたが、横浜在住(当時)14・15回生のS氏夫妻や15回生R.Kさんからの情報も参考にしています。
が、なにしろ認知症が始まりそうな(もう始まっている?)編集者故、間違っていても御免なさい!
KUMC100周年記念誌にもH.Nさんの寄稿で経緯が掲載されていますので、ご覧ください。
誕生前の 微震
14・15回生のS氏夫妻が横浜で主宰している「マンドリンアンサンブル・パストラーレ」の神戸公演が1994年10月9日(日)神戸産業振興センターで開催されることになりました。この計画を伝え聞いた京阪神姫在住の14・15回生を中心とした有志(この回生は物好きの集まり)は、是非成功させなければと立ち上がり、会の準備、会場運営、観客動員(これが大事)など出来る限りの応援体制を作りました。
当時の役割分担表を見ると(きちんと残っていました)
・事前準備 「案内表示作成」「来場者記名簿作成」「花束発注」「昼食発注」
「打ち上げ会場予約(出来るだけ多くの人に出来るだけ安く出来るだけ豪華
にと当然な注文)」「会計」「祝電(東京弦友会に事前依頼)」
・演奏会当日 「受付」「案内・連絡」「道順誘導・表示(神戸駅からの要所に方向表示の
紙を貼る、又はプラカードを持って立つ 但しこれ皆不法、捕まっても弦友会は
一切関知しないと小さく注意記載)」「昼食手配(うみやまハンバーグ弁当)」
「照明指示」「ビデオ撮影」「片付け・搬出手伝い」「ゴミ拾い」
上記担当に14回生10名、15回生2名の名があり、なんと誰かの二世にも受付を
お願いしています。
その打ち上げの時
「やっぱりコンサートはええなー」
若き日の”ときめき”が蘇った一瞬でした
この中にはすでに故人となった仲間が3人が写っている貴重な写真です
翌1995年1月17日 まさかの ”阪神・淡路大震災” 発生
阪神姫在住の我々はそれなりの被害を受けましたが、本題から外れそうなので省略。
その時感じたのは
「人間、いつ死ぬかわからない」「やりたいことは出来る間にやろう」
その年の弦友会恒例の新年会の写真です。まさか2週間後に震災が起こるなんて!
同年の9月始め、上記の15回生S.Sさんから 思わぬ 余震 が届きました。
彼女がかって播磨町で教師をしていた時の教え子から 播磨西小学校20周年記念のコンサートを頼まれたとのこと。「横浜から半分行くから神戸で半分お願い」と旦那から誰かに依頼があり、同町生まれのR.Kさんにも「お願い。頼りにしているわよ!」
なんで今頃!とは思いましたが、そこまで言われては断れない(喜んだ?)有志が集まってH.Nさんの事務所の打ち合わせテーブルを囲んでの練習が始まりました。
ところが大多数は超久しぶりで、気持ちだけでは弾けないことに愕然。その時責任を少しは感じたのかR.Kさんから「合宿をしましょう」という呼びかけ文が届きました。
まさかこれがその後の合宿の始まりなるとは思ってもいませんでした。
「呼び掛け文」「スケジュール表」が残っていますので、目を凝らして見て下さい。
「鬼のように練習」はすでにこの時から始まったようです
実名が載っていますがそこだけ目をつぶって見て下さい
写真が残っていないのが残念なのですが、練習は勿論しっかり?やりました。
が、夕食はそのまま飲み会になだれ込み、大いに盛り上がったことは言うまでもありません。大喜びで飲みすぎた誰かさん(個人情報保護?)はどこかでこけておでこに怪我をし、奥様から「どんな合宿をしたの?」と詰問されたとか。
参加者は12回生3人、14回生7人、15回生4人、17回生1人、その他一人 計16人
+横浜から二人(泊まらず日帰り)
編集作業中「その他一人」が当時播磨西小の教師をしていた楽楽25回生のM.Mさんだったことが判明しました。
前日には心配して用意してくれたひょうご共済会館での合同練習も、横浜の皆さんの前で決死の覚悟で行いました。
が、何といっても超久しぶりのステージ。
不安だらけで夜も寝むれず?迎えた当日
あの合宿が功を奏したのでしょうか?
”クリスマス・イブに播磨町中央公民館で開催された
マンドリンオーケストラの演奏を楽しむ「ふれあいコン
サート」成功裏に終了”と地元の新聞に大きく報道され
てしまいました。
打ち上げでは皆嬉しそうに映っていますが、私は久しぶりのステージですっかり緊張し、半分も弾けなかった悔しい思い出だけが残っています。
今では珍しいお座敷での打ち上げでした
余震 が 余韻 を
翌1996年1月16日にH.Nさん事務所に集まって合奏練習をしたという記録が残っています。前年のふれあいコンサートの余韻から抜け出せずに集まったのでしょうか。でも、もっと頭から抜けないのは、もしかして楽しかった合宿のこと?
当時R.Kさんが勤めていた会社の研修・保養施設(三田・ココス研修所)なのですが
彼の紹介で社員と同条件で(つまり超安く)しかも貸し切りで使えるなんて・・・
コンサートという目標はないものの、理由は何とでもつけて是非合宿をやろうという声が上がるのは時間の問題でした。
9月ごろ定演や恒例の新年会などに顔を出している京阪神姫近辺のオールド弦友会員に対して ”楽器で遊ぼう会” と銘打った合宿開催の呼び掛け文が送付されました。
それに呼応して集まったオールドOB・OG18名の合宿による演奏活動が
楽楽・神戸の卵となったのです。
この卵がどのように孵化し、ヒヨコとなり成長していくのかは次回のお楽しみ!
更新日:2022/05/26
Category: 練習風景