2022年4月2日 練習風景


 

 

ギターパート K.Sさんのレポート

 

    はじめに、柏木良雄さんのご逝去を悼み謹んで哀悼の意を表します。

 

 久しぶりの例会、三宮勤労会館にて出席34名、欠席16名。

2月、3月はコロナ第6波の急速拡大とまん延防止措置のため休会。

 

桜が見頃、好天に恵まれ自宅~三宮の往復のバスと阪急電車の車窓

から十分楽しめました。

 

 

 

 

 

柏木さんの奥様の祥子さんからお世話になった皆さんにお礼の挨拶がありました。

     Y.I代表の合図で柏木さんのご冥福を祈り黙祷を捧げました。

 

 

*13:00~13:10 Y.I代表より

 

・コロナが続くが例会では楽しく過ごしましょう。コロナ第7波のことも云われていま

 すが例会開催は状況に応じて対応します。

・4月29日(金、祝日)に柏木さんのお別れ会が2つの会場で催され、第1会場では

 「楽楽・神戸」から12名が出席し演奏することになっており、第1会場が終わり

 第、第2会場に移り献花等が予定されています。第1会場にはコロナの関係で入場制

 限があり、「楽楽・神戸」からは演奏者の他に5名程度が可能です。入場者は挙手い

 ただいた方の中から後ほど決めます。

 

*13:15~15:05 S.IMさん 指揮

 

・「お別れ会」にて演奏する柏木さんゆかりの5曲の中から4曲を当日の順番に練習。

 選曲は、指揮者のS.IMさん。

  1. マイ・ウエイ
  2.  我が道をゆく柏木流にピッタリとのこと、そう思います。強弱を付けて曲の流れの
  3.  波を出すように。
  4. カヴァレリア・ルスティカーナ
  5.  柏木さんが選ばれた昭和38年(1963年)の全日本学生マンドリン連盟主催アメリカ
  6.  西海岸演奏旅行合奏団の演奏曲目の1つ。
  7.  1stMの5連符がポイント。Bから強めでもう少し強弱を付けること。
  8. マンドリン・セレナーデ 
  9.  神戸をテーマとした第3回コンサートにて演奏。ラスト2小節はゆっくり。
  10. 山の印象(初版)
  11.  柏木さんの指揮で第2回コンサートにて演奏。「お別れ会」では第1楽章のみ演奏。
  12.  強弱を極端に。ギターのアルペジオが引き立つように。

        

         休憩を挟んで「お別れ会」の出演者だけで合奏。

 

*15:05~15:35 お知らせ、休憩

 

・Y.I代表より

 次回16日の例会で前半の練習時に演奏を録画撮りして「お別れ会」にて流します。

 又、楽譜担当していただいたK.IさんとJ.SさんにはDVDをお渡します。

・事務局より

 休会されていた柏木祥子さんとS.Nさんが出席。K.Tさんが指の不調でしばらく

 休会されます。

・事務局H.Kさんの司会で例会月の誕生日の人のスピーチ。

 2、3、4月から2月生まれのK.Kさんのお孫さんと一緒にピアノを習っているお話と

 E.Iさんの幼少の頃の思い出のお話がありました。

 

 

*15:35~16:25 S.IKさん 指揮

 

山の印象(初版)第2楽章 

 2小節はスラーに気を付けて美しく。Bから遅くなっているが構わない、

 ギターは良くメロディーを聴いて弾くこと。コーダーを念入りに。

山の印象 第3楽章

 繰り返しに気を付けて。ギターは音を止めるところはしっかり止めること。

大阪ラプソディ

 今日は、演奏1回で練習を終わるつもりだったが、2ヵ月の休会のためかたどたど

 しかったのでもう1度、2回目はましになったとS.IKさん。

 

                  余 談           

 この曲の海原千里・万里の上沼恵美子さんの「おしゃべりクッキング(ABC TV)」

 が昨日1日(金)にて番組終了。

 

    5月から練習曲を変えて、「古戦場の秋」と「丘を越えて」にします。

 

                  

 

 コロナがしずまるのを祈るばかり、当分は続きそうでしかたなく共生の思いです。

     長年のきつい花粉症のためマスクを付けるのは気になりません。

        例会では、合奏を楽しませていただいております。

           諸役の皆さまに心より感謝いたします。

 

 

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            楽楽の ”おあしす” タイム

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        KUMC9回生の田中照晃さんから投稿を戴きました。

田中さんは城崎町の教育長をされたご縁で私たちは二度城崎中学校へ訪問演奏を経験

   することが出来ました。長文でしたので複数回に分けて掲載いたします。

 

            人生と写真 その1

 

       人生は、運命の大きな流れの中でのあがきに過ぎない。

            大河の一滴なのかもしれない。

       人生は運命と偶然の出会いの中で振り子のように揺れ

        生きる道を模索しながら決めていくようなものです。

 

 父は、私が五歳の時戦争に行き、小学校一年生の時に終戦になり、小学校二年生の時父がシベリヤで戦死したという広報が入り、白い布に包まれた位牌の箱を持って家まで行列をして歩いた記憶があります。

 母は朝早くから夜遅くまで働き、我が子の成長だけを願って「無償の愛」で育ててくれ、93歳まで気丈で明るく生きてくれました。

 

 中学生になった時、担任の宅見先生に出会いました。何事も熱心に指導され、また温かく対応をしてもらいました。その尊敬する宅見先生が職員室で何気なく「田中君は先生に向いているね」と言われたのです。私にとってそれは天の声のようでした。その時から自分は先生になるのだと決めていました。成績は思うように伸びませんでしたが、やみくもに努力したように思います。

 

 しかし母一人子一人という家庭環境と経済的なことあって、高校三年生の後半に母親から「今の成績では目指している大学は難しいと担任の先生は言っておられる。

就職先は決めているのでそちらに行ってくれ」と言われました。思いもよらぬ言葉でした。泣きながら「どうしても大学に行かせて欲しい、先生になるために」と訴えました。何とか許してもらえました。そして運命なのか神の助けか知らないが、念願の大学に合格することが出来ました。もし合格していなかったら今どうなっているか

考えるとぞっとします。

 

               「人生の道」

 

           ああ青春は惜しむべし 

               二度と帰らぬこの一瞬 

               いかに過ごすかこの人生 

           何の目的に生きるのか 

               はかなき青春過ぎつつも 

               いかに過ごすこの人生 

           ああ惜しむべきこの日々を 

               どうして価値ある人生を 

               送るべきか迷う子よ   (昭和32年10月5日)

 

その後、人生を歩んできましたが「何のために生きるか」は結論が出ませんでしたが「如何に生きるか」は自分の努力で切り開けるとやっと結論づけられました。

その後の人生において自分が出来る最善の努力をしていこうと決め、実践してきたようです。

 

     語ることは沢山ありますが、次回は趣味について報告いたします。

更新日:2022/04/10