マンドリンパート R.Hさんのレポート
会場はコミスタ神戸
この日はあいにくの雨でした。
降りしきる雨に濡らさぬようにマンドリンケースごと抱えて、
会場であるコミスタ神戸に向かいました。
それでも、前回欠席していただけに、
合奏の楽しさを思うと足取りも軽くなりました。
・前半練習(S.Ikさん指揮)
1)「三都物語」
いずれの曲も中途半端なつなぎ方が気になりながらも、最後は指揮者の指示通り
ギターが落として、気持ちよく終わることができました。
2)「山の印象」
わたしは「初版」の楽譜しかもっていませんでした。チーフの楽譜をコピーさせ
ていただこうと思っていた矢先、わたしの思いを見透かしたようにA.Mさんが
「持っていないのでしょう」と「組曲」版を差し出してくださいました。
洞察力の凄さに感動し、感謝、感謝でした。
この曲は来年11月の演奏会における候補曲にもあがっているとのことで、横で
演奏するドラの旋律を楽しみながら、メロディーの流れに乗って、情緒たっぷり
に演奏をしました。
(ここで突然事務局のKさんから,今日のレポートを書いてほしいと依頼が
ありました。理由は担当されている方が欠席で、それに続く2名の方も
ご欠席なので順番でお願いしたいとのことでした。とても困ったような
申し訳なさそうな表情に負けて、お引き受けすることになりました。)
3)「旧友」
指揮者から「装飾音は気にしないで演奏してください」と一言ありました。確か
に何と弾きやすかったことでしょう。
最後に指揮者曰く「大分行進曲らしくなってきたな」
・おしらせ
午前中に定期演奏会に向けての選曲委員会があり、その際の報告がありました。
・誕生スピーチ
ドラパートのK.Nさんお一人のスピーチでした。ご自身の今日に至るまでの
「生い立ちの記」をたっぷりと聞かせていただきました。こうしたパターンは
初めてだったので新鮮でした。メモ用紙を片手に抜けることや落ちることのない
よう丁寧にお話しされている様子に好感を持ちました。
・休憩時間 親しい友人との情報交流の場でありました。
・後半練習(S.Imさん指揮)
1)ワルツ第2番(ショスターコーヴィッチ)
初めに指揮者から、「この曲は何となく弾いていては駄目。メリハリをつけてほ
しい。ritを取っているときにも忘れないように。全体として取ってほしい。」と
厳しい指摘がありました。また、「全員が演奏しているときに1stソロがあるの
で、しっかりと聞き取ってほしい」と指示がありました。
2)弦楽セレナーデ(ドヴォルザーク)
6月から練習を始めたこの曲も今日が最終だということで、改めてドヴォルザー
ク「弦楽セレナーデ」のマンドリン合奏用編曲の素晴らしさを痛感しました。
各パートが存分に生かれ、美しいメロディーをふんだんに楽しめるようになって
います。当初はシャープの多さにかなり苦戦しましたが、弾き込めば弾き込むほ
ど味が深まる名曲でした。
3)恋人がサンタクロース(松任谷由実作曲・中川信良編曲)
意外とリズムがとりにくく、初見並の苦労をしました。クリスマス時期だけの
演奏では未消化に終わりそうです。
西宮ガーデンズのクリスマスツリー
この日は、KUMC第67回定期演奏会が17:30からあるために、いつもより10分ほど早く終了しました。次回は1月7日が正月休みのため、1月21日です。
しっかり練習しておきましょうと自分自身に言い聞かせました。
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楽楽の ”おあしす” タイム
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9回生ドラ・パートのR.Iさんからグッドタイミングの投稿です。
「きよしこの夜」物語
世界の国々でクリスマスを彩り讃美歌にもなっている「きよしこの夜」
☆ 彡
この曲の故郷はオーストリアのオーベンドルフというところ、ザルツブルグ市内を新旧地区に分けているあのザルツァッハ川沿いに20kmばかり北にある小さな村で対岸はドイツです。
私がここを初めて訪れたのはドイツ駐在員時代に職場の友人とのドライヴでしたが数年前にワイフとチロルからオーストリアの旅の途中で再訪しました。半世紀を経ても静かで趣のあるたたずまいは変わっていません。
この村の礼拝堂では毎年クリスマスイヴにあの Stille Nacht が厳かに演奏されるのです。オルガンではなくなんとギターの伴奏で!
そこでこの名曲の数奇な運命をここで紹介したいと思います。ドラマティックに語られる通説とはやや異なるかもしれませんが、私の現地での見聞に一部インターネット情報で補足しました。
ザルツブルグ周辺のこの地域は古来戦乱が絶えず度々統治者が入れ替わりましたが中世には大司教区として独立国のような地位を享受しました。しかしナポレオン戦争後,1815年に開かれたウイーン会議でオーストリア領になった直後は,政治的な混乱と経済的な疲弊が住民を苦しめました。
当時ザルツブル大司教会管轄下にあったオーベンドルフ聖ニコラス教会のヨゼフ・モール司祭が、人々を癒し苦しみを少しでも和らげたいと願って、1816年に Stille Nacht を作詞し、教会のオルガン奏者でギターも奏したフランツ・クサーバー・グルーバーがその歌詞に作曲をしました。現地に残された原譜を見ると、現在一般に奏されている譜と少し違って、例えば、第3,4小節のそれぞれ一拍目に小ぶしがまわっています。
こうして出来上がった曲をモール司祭とグルーバーは1818年のクリスマスイヴに
教会の聖歌隊で披露しようと準備が進められましたが・・・・・・
イヴの前日になって肝心のオルガンが鳴らなくなってしまいました。
当時多かったネズミ被害でオルガンのベルトをかじられたのです。急な修理もできず
已む無くグルーバーのギター伴奏でやろうとしましたが、楽器としてギターの認識と
評価が未だ低かった時代で、信徒や村人たちを説得するのが大変だったようです。
そして迎えた銀世界の中のクリスマスイヴ、厳かな光に包まれ清楚に響くグルーバーのギター伴奏に乗せて、モール司祭のテノールソロと指揮による聖歌隊のコーラスは会場の人々に感動の波を広げ、平和を愛する気持ちが深まったと伝えられています。このときにグルーバーが奏したギターは今も現地で大切に保管し展示されています。
このように「きよしこの夜」の初演は好評でしたが、
この曲の厳しい試練はこれからなのです。
クリスマス・イヴのミサでギター伴奏で歌ったことをザルツブルグの保守的な司教から厳しく追及されモール司祭は別の教会へと転任になり、またグルーバーはこの曲の演奏禁止を言い渡されました。
年が明け春近くになって、ようやくハンスという楽器職人がオルガン修理にやってきました。グルーバーから事の次第を聞いたハンスは、この曲に惹かれ懇願して楽譜をもらって帰ります。その後ハンスのPRも巧みだったのか、その美しく奥深い旋律と歌詞が人々の心を捉えて瞬く間に全ヨーロッパに広まってゆきました。
サウンド・オブ・ミュージックで有名なトラップファミリーもこの曲をレパートリーに入れています。しかし司教から演奏を禁止された曲なので、作詞作曲者不明として広められ,ときにはハンスの作曲と言われたりまたチロル地方の民謡と称されることもありました。
1854年になってベルリン王室オーケストラがザルツブルグの聖ペテロ修道院にこの曲の起源について調査を依頼しました。これを聞いたひとりの少年が「私の父の作曲です」と名乗り出ます。グルーバーの息子のフェリックスで、偶然にもこの修道院の少年合唱団に所属していたのです。このようにして初演から30有余年を経て「きよしこの夜」は晴れてグルーバー作曲、モール作詞として出生が明らかになりました。
この曲が生まれたオーベンドルフの聖ニコラス教会は、老朽化で1906年に取壊され1936年にはその跡地に礼拝堂が新設されて「きよしこの夜記念の礼拝堂」と名付けられ、今では世界各国から多くの観光客を集めています。
平和と平穏を願って作詞作曲された「きよしこの夜」には素晴らしい霊力があると信じられていますが、それを物語る有名な実話があります。
第一次世界大戦でドイツとフランスとが激戦中にクリスマスイヴを迎え、ドイツ軍の塹壕から兵士たちの歌うこの曲が流れてきました。しばらくして、それに呼応するように相手の陣地からフランス語での合唱も聞こえてきて、両軍の兵たちは武器を置いて、しばらく休戦し戦場でのクリスマスを祝ったと。
コロナ禍がまだ治まらず、ウクライナ戦争の憂いが大きい今年こそ
この「きよしこの夜」と共に
平和と健康を切に祈りたいと思います。
更新日:2022/12/23
Category: 練習風景