ギターパート S.Sさんのレポート
I 代表から
* 国や自治体の具体的なお達しがれば、休会の可能性があります。
* 11月末までに第10回コンサートに弾きたい曲をお知らせください。選曲委で
候補曲を絞り、3月中に決め 4月からコンサートに向けて練習の予定です。
練習(S. Ikさん 指揮)
* 新しい曲「旧友」(カール タイケ作曲)
「軍艦行進曲」「星条旗よ永遠なれ」と共に世界三大行進曲の一つ。
ブラス(♭5つ)と奈良マンドリンの演奏(♯4つ)参考にゆっくりと。よく知って
いる曲ですが マンドリンパートが難しい。
*「三都物語」12月一杯で終了予定。
お知らせの時間(Kさん担当)
* 第10回コンサートは2023年11月18日(土)うはらホール
* 2023年4月1日の懇親会は4月15日に延期
* 先日見学の22回生(Sさん)来年2月から参加
* 箕面マンドリンクラブの演奏会 12月4日 池田市民文化会館イベントホール
収容人数100名程度なので希望者は Kさんへ。
T.Mさん、K.Sさん、H.Kさん、K.Tさんが出演されます
* 11月の誕生日スピーチ
M.Nさん:A.Nさんに声を掛けて頂き参加し、今に至っています。楽しくやって
います。
A.Nさん:今や古狸になりましたが、合奏が好きなので1月、8月の様に例会が
1回になったのが寂しかったり、指揮者が都合で(好意かな?)
早めに切り上げたりするのが寂しかったのが、最近では嬉しくなっ
てきました。
からの寄贈楽譜は古文書を見るようでフィ
ナーレに入れていくのが面白い。
故 Kさんと入力の裏技を教え合って解決し
たのは、長いお付き合いの中、最後のいい
思い出です。 Kさんの手書きメモ付き譜
練習(S.Imさん指揮)
来月はもう12月、ユーミンの「恋人がサンタクロース」をやります。
先日、西宮の芸文センターで定例コンサートのリハーサルに出かけました。指揮者
が「次の楽章は指揮なしで」という場面がありましたが、プロでもやはり指揮者は
いるなと思った・・・とのこと。
私たちも「弦楽セレナーデ」を少しだけ指揮者なしで弾きました。(この曲は音が
よく変わるので、大方指揮は見ていないしスピードも余り変わらないので、影響は
少ないと思ったけれど)
* 弦楽セレナーデ(ドヴォルザーク)、ワルツ(ショスタコーヴィッチ)
今日の指揮者は珍しくほめて下さいました。素人の楽団の指揮者はメンバーが楽し
く弾けるようにとのせるのがお役目かと思いました。神大マンドリンクラブ100
周年記念コンサートの I 指揮者の「ハイ、どうぞ!」が一時流行しましたね。
何にしろ、インフルエンザ、コロナにかからず、元気で年を越して
来年のコンサートに向かいたいと思います。
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楽楽の”おあしす”タイム
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11回生ギターパート永松道晴さんからの投稿です。
京都の精神文化学会 第12回学術会議で講演された「道徳論」から
(実名での表記を了解いただいています)
日本を愛したカンドウ師の道徳論から今日の世界と日本を考える
1897年にフランスのバスクに生まれたカンドウ師は、カソリックの神父として
第二次大戦を挟んで二回日本の宣教活動をして、人間の自由と平和を目指す道徳は、
宗教や文化の違いを超えて万国共通の基礎の上にあることを、教育や著作・講演活動を通じて訴え続け、1955年東京で亡くなりました。
私がカンドウ師を思い出したキッカケは、先日押入れの奥に眠っていた古い日記、1962年23才大学4年の時の日記でした。そこには、カンドウ師の著書「バスクの星」からの抜き書きが転記してありました。当時我々大学生の間で最も人気のあった思想家はサルトルで、私も彼の実存主義にかぶれていました。しかし彼の無神論には何か糸の切れた凧のような不安定性を感じていたので、このカンドウ師の一節に、一つの
方向を見つけた思いで日記に転記したのだと思います。そこで、1956年発刊で絶版
だった「バスクの星」を神戸市民中央図書館で見つけて再読しました。
日記に転記していた部分は次の一節です。
『 平和とは“秩序の静けさ”である。 世界における平和が複雑な問題となるのは、この秩序の観念に関する皆の意見がばらばらで一致しないからである。人間というものは、その肉体的側面においても、精神的側面においても、各々雑多な個別性を有しているのは当然である。真の意味での不平等はなくなりそうにない。誰もが哲学者や大政治家にならなくてもよいが、すべての人間が少なくとも人間らしく生きるに必要な生活条件を広く生み出すように何とかしなければならない。同じ人間が貧富の差のある生活をするということは、秩序に反するからである。秩序の回復は破壊的革命によるのでなく、隣人愛によってなされるべきである。キリスト教の秩序というものは、三つの超越性を前提とする。即ち、物質に対する精神の超越性、社会に対する
人間の超越性、宇宙に対する神の超越性、この三つである 』とありました。
今風に言えば、第一の物質に対する精神の超越性は「おカネではない、心だ」
第二の「社会に対する人間の超越性は「あなたがた、ひとり一人個人が大切だ」
第三の宇宙に対する神の超越性は「神、あるいは天、あるいは自然が核心だ」
つまり私たち 人間が依って立つ座標の原点 の確認です。
私が大学を終えてビジネス界に身をおいた1960年代の世界は、1962年の米ソ冷戦のピーク・キューバ危機、1966年の専制中国・毛沢東による文化大革命、1964年の東京オリンピックと新幹線開通や1970年の大阪万博で高度成長を謳歌する日本など、第二次世界大戦後の東西の覇権争いと、そのはざまで経済復興に邁進する後進諸国、
ある意味、にぎやかなお祭りの時代で、その底に潜む危機の芽に気づくヒマも余裕もなかった時代でした。
カンドウ師は、その60年後の世界と日本が直面する問題を正確に予見し、警鐘を鳴らしていたことがわかります。そのキーワードは「平和は秩序の静けさなり」です。『 平和 』という言葉が始めて使われたのは1800年前の聖アウグスチヌスの書『神の国』で、その600年後の11世紀に聖トマスアクイナスがこれを敷衍して『 平和は秩序の静けさなり 』と定義した と述べています。
カンドウ師は、今の世の中で人を裏切る言葉、ごまかしやまやかしのきく流行語としてもっとも乱用されているのは、平和 という言葉だと警告しています。秩序のあるところに一種の静けさがあるということは、自明的な事柄で、人間の憧れる平和は、秩序と静けさなくしては考えられない と記しています。
彼は更に続けます。『 ある種類の者だけが安楽な暮らしをして、多くの者が食うや食わずの生活を送っているという事も、秩序に反することであるに違いありません。しかしながら、この世からすべての不正を追い払うには、はたして暴力だけが、残された唯一の方法、効果的な方法でしょうか? 革命的理論が何といおうとも、人間の歴史はマルクスと共に始まったものではありません。はるか昔から偉大な足跡をこの地球上に残して来た人類は、すでにいくつかの不動の真理を掴んでいます。その真理のひとつは、憎しみは破壊的なものであり、隣人愛は唯一の建設的な力である、ということです。いやしくも人間であるかぎり、だれでも人間らしくあつかわれる権利がある。その理由は、人間がただの動物でなく、貴い魂の持ち主であるからです。我々は体を生かすと同時に魂を養うことをも真面目に考えなければならない。そして、人間の尊厳は、実に、自由な魂の上に立っているものであるということを忘れてはなりません。人間は暴力や、テロによって操られるべきものではないのであります。
百年このかた世の中にますます欠乏しているのは 静けさ です。
周囲にざわめく騒音にくわえて、現代ほど言葉の濫用される時代はかつてなかったといえるでしょう。一日のうちに発せられた無数の言葉の中で、本当に人の心を慰め力づけ、精神の糧になるようなものが少ないのは、つまり言葉の大部分が騒音の中から生まれたもの、あるいは騒音に属するものであって、深い瞑想や沈黙に根ざしたものではないからです 』
カンドウ師は2回の欧州戦争の戦場で、人間がありとあらゆる騒音の支配に身をゆだねる世界を経験しました。『 凶暴な野獣性と動物的な本能が物をいう世界です。それだけに、およそ戦場での沈黙ほどおそろしく印象的なものはない、急になにかの拍子に戦闘に止み、間があいて耳を聾する大砲や機関銃の響がふととだえて、戦場全体がシンと一時静まりかえる時、急に神経が緩むと同時に、何ともいえない深い心の緊張を感じます。そしてこの静けさを待って、はじめて人々の耳に聞こえてくるのは、負傷兵の呻きやため息、若い兵士の「お母さん!」と叫ぶ声、すべての人間らしい小さな親しみのあるざわめきであります。騒音に追いのけられていた人間性がこのささやかな沈黙の支配に息を吹きかえしたのであります。静かな悲しみ、深い喜び、勇ましいあきらめ、大いなる愛情、全ての人間らしい感情が沈黙のおかげで戻って来ます』
1940年、日本陸軍が英領シンガポール攻略でマレー半島を南下、快進撃をしていた時を
同じくしてフランス陸軍のカンドウ師はベルギーでドイツ戦車隊と対峙して重傷を負った。
それから80年後の今、攻守ところを代えて、日本は平和の危機の直面している。
これが今、ウクライナで正に起こっていることです。ウクライナとロシア両陣営の日々の攻防に伴なう悲劇と混乱が日本でも連日伝えられていますが、我々もこの戦争の騒音から一歩離れて考える時だ、とカンドウ師は願っているでしょう。かれは結論としてこう言っています。『人間は自由と規律とお互いの信頼とこの三つの宝 なしに
発展向上することは不可能です。自由なしに生きる甲斐もない生活になるでしょう。規律なしには社会の秩序を保つことが出来ないでしょう。そしてお互いの信頼のない生活においては、人間は動物的残忍性の奴隷とならざるをえないのであります。いいかえれば、自由をおびやかす全体主義、規律を無視する無政府主義、人間相互いの愛を押し殺す極端な個人主義、技術主義を我々は何よりも怖れ遠ざけねばならないのです。』
最後に、カンドウ師は日本人の精神に注目しています。昔から日本では 知・情・意といって、情を、知と意の間におき、その中心をなすもののように考える習慣があります。ヨーロッパの伝統的哲学においては、知と意はむしろ一つのブロックとして考えられ、人間にかんする問題はすべて知恵と意志との相互関係の見地から論じられています。純粋な精神的能力である知恵と意志が物事を決定して、感情つまり情はそれに順応すべきものとなっています。日本人は精神生活の中心に情をおくことによって始めから情の重大な役目をみとめ、知恵が働きだすのは必ずしも意志の刺激によるのでなく、むしろ情に直接に刺激されたからであると、西欧とは異なったアプローチを高く評価しています。
カンドウ師はカソリックの神父としての立場にもかかわらず、人間の拠って立つべき道徳は宗教や文化の違いを超えて共通する基礎の上に育まれるべきもの であることを、長い日本での生活を通じて体得されました。大学時代から60年の時空を越えて「バスクの星」が、今なお新鮮な感動を私に呼びおこしてくれたことに私は感謝しています。
カンドウ神父の足跡
1897年南フランスのバスク地区の商家に生まれ、11才で地元の小神学校に入学、17才で卒業後、第一次世界大戦勃発を受けて、陸軍士官学校に入学、1917年に陸軍少尉として激戦地ヴェルダンの戦線に参加した。幾多の激戦地を転々としたのち、中尉として休暇中に出会った一人の司祭が人間の自由意志について彼に語りかけた。
人間の価値はその実存の密度と、愛の深さによって定まる、愛によって生きる人間が一人でも多いほどこの世は天国に近くなるだろう、との言葉に心を打たれて1919年終戦後、彼はパリ外国宣教会に入り、バチカン法王庁のグレゴリアン大学に送られ、1925年まで研鑽を積んで、ヘブライ語、ギリシャ語を修め、神学博士、哲学博士の称号を得て、日本への派遣が決まった。28才だった。同郷バスクの生んだ聖人ザビエルの日本における布教の歴史がカンドウ師の来日の下地となっていたのだろう
東京はじめ静岡のカトリック教会に籍を置いて、先ず日本語の習得に打ち込み、四書五経の素読からはじめて、半年で完全に日本語をマスターした。1926年、東京教区神学校校長に就任、1929年に大神学校を創立して、以後10年間布教活動のかたわら、早稲田大学やアテネ・フランセで講義も引き受け、講演・出版など多くの文化活動にも活躍して、ともすれば抽象的になり、難解になるカトリシズムを具体的に平易に、生きた人間に生きた話をしようとした。
1939年、欧州で第二次大戦が起こって陸軍大尉として応召され、帰国して1940年ベルギーのアルデンヌ戦線でドイツ軍の戦車に轢かれて重傷を負った。スイスのローザンヌで1年半の入院・リハビリ後、ローマのバチカンで静養し、1945年日本の敗戦を受けて、1948年51才で日本に帰ってきた。パリ・ミッション会の主柱であり、日本カトリック教会の代表的人物である半面、一流文化人として、旅行・講演・新聞雑誌への寄稿等多忙を極めたが、1955年、持病の胃潰瘍で58才の生涯の幕を閉じた。
更新日:2022/11/24
Category: 練習風景