おあしすタイム(お試し指揮体験、永松さん追悼記事)


今回は、おあしすタイム のみのホームページ掲載とさせていただきます。

掲載内容

1)お試し指揮体験記Ⅱ  セロパート Y.Oさん

2)永松道晴さんへの追悼記事

 * 永松さんを偲んで  ギターパート S.Nさん

 * 永松君を偲んで  ギターパート S.Oさん 

 

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              楽楽の”おあしす”タイム

 

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1)お試し指揮体験記Ⅱ  セロパート Y.Oさん

  今回のお試し指揮者 Y.Oさん

 

 そもそも“指揮ってなぜ必要?”

プロの演奏団体、演奏経験の深いメンバーが揃った団体、初心者が多いアマチュアクラブ……それぞれ答えが異なるのでは。

私が所属する松原ギター・マンドリンクラブは大阪府松原市の公認サークルで40年以上の活動歴があります。現在部員は23名、マンドリン系・ギター系ちょうど半々です。

仕事に一区切りついたこともあり、<楽楽>に加えて入会したのが約十年前。驚きました。ヒドイ!!…音の強弱なし、ギターはコード弾きなどなど。

 ・ある日質問を受けました。「フェルマータは何拍数えるのですか?」

  実に新鮮な(?)問いかけでした。

  そうか、そのように決めないと合わないのか。

 ・ギターの上手な方が入会して来ました。でも合奏になると全然合わせることが

  できません。手指の技術はもちろん高い方に越したことはないが、大事な

  「合奏技術」が足りない。

そのような大学のクラブ以来初めての経験をたくさん受けて、方向を定めました。

「指揮者なしで“合わせる”」「みんなで曲を仕上げる」をテーマに例会を重ねています。最近は練習の中でいろいろと注文が増えて来て楽しいクラブになりました。

 さて、本題のお試し指揮ですが、上記のことから<楽楽>のみなさんは、ギター・マンドリン演奏の経験は十分過ぎるほどあります。どなたがタクトを振られても合奏になります。

今回指揮者さんの気持がチョッと分かりました。感想と今後の練習への参考提案です。

(1)お試し指揮の限界

演奏する側からは新しい指揮者の“クセ”がすぐにつかめません。

回数を重ねれば解決します。

(2)演奏会用の曲を仕上げるために

2週間に1回の練習では指示が徹底しません。忘れます(笑)

新曲を数回練習の後、指揮者がほぼイメージを作った時点で、パートチーフが一緒にスコア譜を見て曲全体を共有する時間が必要と思いました。チーフは演奏のポイントを確認して、パートメンバーに正確に指示する。(このことは一チーフとしての要望でもあります。他パートの音の動きまで確認することがありませんので。)

以上

 

 

 

 

2)永松道晴さんへの追悼記事

[1] 永松さんを偲んで    投稿者 ギターパート S.Nさん

 永松さんが亡くなられた事を知り涙が止まりませんでした。

スマートでダンディな元商社マン。

合奏のあいまのお話が楽しかったです。

 

 美人で素敵な奥様とのなれそめ。

ヨーロッパに駐在中はご家族と車であちこちの国を

旅行されたこと。

スペインでギターを買って帰られたこと。

双子のお孫さん達が音楽の才能があること。

男の手料理を奥様にすすめられたと、六甲での休み時間に下のダイエーに夕食の食材を買いに行かれてたことなど。

 在りし日のお姿を偲びつつご逝去を悼み

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

[2]  永松君を偲んで    投稿者 ギターパート S.Oさん 

 永松君とは、神大マンドリンクラブ以来のお付き合いになります。

わたしは、彼とは、さほどズブズブの関係ではなく、彼の方も付き合いには一歩引いた感じがありましたが、肝心の場面では、ちゃんと出てきて、存在感を示していました。

部長も務めていましたが、非常に常識的な反面、そこはかとないユーモアをたたえている人間でした。

 学生時代、松陰女学院合唱部と我がマンドリンクラブとの合同演奏会があり、私は合同演奏用のロシア民謡メドレーのマンドリン合奏の編曲を仰せつかり、当方選抜メンバーと先方の合唱団で演奏しましたが、彼はその縁で、今の奥さんと知り合ったという話を聞き、彼の情熱的、行動的な面を大変うらやましく思ったものです。

楽楽神戸でも奥様共々一緒になり、爾来行動を共にしてきましたが、お二人のお顔を見るにつけ、この思い出とともに、私が一役買ったような気分になり、ちょっぴり鼻が高かったものです。

 彼の印象的なエピソードとしては、彼がポートアイランドで車を運転中、心筋梗塞(?)を起こしたが、ちょうど大病院の近くを通りかかっていたので、すぐにそこに立ち寄って診察を受け、事なきを得たというものです。

その運の強さと、とっさの機転の利かせ方に感心したものでした。 

 それと、きっと彼だったと確信していますが、最近「オアシス」に投稿された、インチキメールにわざと引っかかった顛末は、非常に面白く、また教訓にもなって、彼の面目躍如といった感じでした。

 一時、足を痛めて、歩くのが無理な状況もありましたが、元気に復活してきたので、今回もやや足が不自由そうだがまだ大丈夫だろう、奥さんと余生を楽しむことも可能だろうと見ていましたが、亡くなったという話を聞き、急な話なので、驚いています。

 心よりご冥福をお祈りいたします。

 

更新日:2024/10/04